心学明誠舎について
300年も昔の江戸時代、大阪は心学講舎・懐徳堂・含翠堂・適塾など教育のメッカでした。京都で創られた「心学」は、石田梅岩がはじめた町人による町人のための教育理念でした。石田梅岩により、大阪では坐摩神社や備後町で講義しましたが、寛政元年(1789)の「諸国舎号」によると、東北・青森から九州・大分に至る170の講舎が存在しました。
石田梅岩講釈図
梅岩没後、大坂では、教えを継いで南船場心斎橋錺屋(かざりや)町 三木屋太兵衛が、自邸内に明誠舎を創立しました。維新後も続いた明誠舎は、金田町(博労町2丁目)-明治5年学制発布により金田小学校として寄贈-を経て、堺筋長堀で70年間開講され、明治38年(1905)年には文部省(現文部科学省)の社団法人として認可されました。竹屋町へ移り戦災を受けた後も、長堀 旧住友本邸 茶隴山(さろうざん)道場で30年間298回の講席が続き、大阪商人のための経営理念や日常の暮らしのトピックスなども語りつがれました。
主宰者が引き継がれながらも在阪の企業や関係の深い研究者の支援で講舎が存続しています。大阪府立文化情報センターと共催で、初夏・春期(各3回)の連続セミナー、秋期には阪神奈大学ネット公開講座フェスタに参加するなど在野にある社団法人として、生涯教育の一役を担ってきました。
庶民の学びの場として、伝統の灯をかかげ活動し、舎員として大阪の文化・経済・伝統を担う経済人・研究者・文化人などが社会貢献に努力をしています。
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石田梅岩 講釈図
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「心学明誠舎の歩み」
1785 天明5 大阪の南船場飾屋町心斎橋に創設
1905 明治38 内務省より社団法人の認可
1945 昭和20 空襲で舎屋焼失、活動は休眠
1954 昭和29 大阪市東住吉区西今川に事務所をおき再発足
1955 昭和30 第1回例会を大阪市立東高校で開催
1957 昭和32 機関紙「みち」創刊(昭和36年7月第6号まで)
1959 昭和34 第43回例会から旧住友本邸跡(茶隴山道場)
1984 昭和59 第298回例会後活動中断
1992 平成3 大阪府立文化情報センターと共催講座開始
1998 平成10 阪神奈大学生涯学習ネットワーク参加
2000 平成12 京都国際会議場にて「心学開講270年記念大会」
2004 平成16 大阪市中央区平野町に事務所移転
2005 平成17 「設立220年・法人格取得100周年記念シンポジウム」開催
2006 平成18 「なにわの商人道とニュービジネス」研究会発足
2007 平成19 事務局を(学)エール学園に移転
2008 平成20 ホームページ開設
. 心学講演会開始
2010 平成22 舎報「みち」復刊
. 落語による、「現代版心学道話」開始
. 京都府亀岡市から「生涯学習奨励賞」を受賞
2011 平成23 都鄙問答研修会開始
2013 平成25 大阪府より、一般社団法人の認可
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