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大空から声がして、「翁、翁」と呼びかけてきた。誰だろうかとふり返ってみると、漆の木が傍らに立って、「翁は先ほど、漆の木に漆があるということによって、天寿を終えることができないことに譬えたが、いったい何たることか。漆の木に漆があるのは、人に人間らしい心があるのと同じようなものだ。漆の木であって漆がなく、人であって人の心を持たない者はどうだ。人間の性は善であると自慢なさる人の中にも、体は人間の形であって、心は鳥や獣のような者もいる。外見や物腰は女らしくて、心に角が生えている人もいる。(彼らは)漆の木が生み出す漆に恥じないのだろうか」と言ったのだった。 翁がそれに対して、「人間でありながら人間らしい心がない者は、その人にもともと人間らしい心がなかったわけではなく、その人が人間らしい憐れみの心を失ったからである。譬えれば、自分の家に対しても心そこにあらずの状態で、自分が得意とする妓芸に凝って、家業を忘れてしまう者のようだ。好きだからこそ、その妓芸も上達するが、終には親たちが代々受け継いできた家名を捨てて、その芸にはまり、(中には)芸に身を助けられて世の中を渡る人もいる。これらはみな人として生きる根本を失ったからである」と答えたところ、 漆は、「人としての根本を失い、妓芸に執着し、色事に溺れるなどというのは、情を持たない木石などにはないことだ。情を持つとされる人間もその思い入れが過ぎると妓芸にふけったり、色事に溺れてしまうが、恐ろしいものうちでも最も恐ろしいのは色事である。武士も町人も、老人も若者も、僧も尼も、その現在および未来を失ってしまうのは、ただ色事によってのみである。京・大坂・江戸などの商家の息子や手代たちのしくじりを聞くと、百人のうち九十九人半までが色事の結果である。もっとも恐れなければならず、もっとも慎まなければならないのは色事ではないのか。非情だとされる物にも、雌雄一体の連理の枝があり、雄松雌松の相生の松があり、竹にも女竹男竹があるが、それらが終に心中して死んだというような話は聞いたことがないし、駆け落ちして行方をくらましたといううわさもない。だからこそ、小松が成長しても、竹の子の背丈が伸びても、親たちの気苦労はない。(ところが)人間は、八百屋お七の芝居を見ては涙を流し、親にも見切りを付けて、わが身の命にも替えて、男を思う貞節や、たとえ自分の家に火を付けてでも、逢いたい見たいと(男を)慕う心根に対して、まったくもって(それは)殊勝なことだ、恋の道を知っている、めったにないほどすばらしい、もったいないことだなどとひいきして誉めそやす。我らのような非情の物の目から見ると、取り柄のない無用な者だ。娘のせいで難儀する親の苦労は何とも思わず、義理のある人の所には嫁入りせず、こっそりと男を作り、その男に逢いたいからといって家に火を付けるとは、言葉では言い表せないほどの大悪人だ。世間の娘たちの風上にも置けない女だ。この女に対して(芝居の中では)筋の立たない理屈を付けて、悪人とは呼ばないで、貸した金の催促をしたり、(この女を)嫁にほしいと望む者を、恋の邪魔をする悪人だの敵役だのと、板敷きの上等な見物席からも平土間の観客席からも敵役だと憎むとは、おかしな人間の心ではないのか。ある先生が客に誘われて、初めて芝居を見物なさった時に、ある人が『誰の役をする人間を上手だとご覧になりましたか』と尋ねたところ、『小川吉太郎という悪人役の人間こそ上手な役者であった』とお答えになったが、通人の先生は本当に通人だったと、ありがたく受け止めたものだ。たとえ野の末、山の奥、どんな所帯でも苦にはするまいと、浄瑠璃の中のさわりの一段を語るのを聞いては、わが身に引きくらべてうらやましがり、彼等こそ本当の恋知りだなあ。たとえ親から勘当されても、愛する男との二人連れで駆け落ちして妻夫となり、慣れない苦労も厭わないとは、かわいらしい心だなどと、跡先も見ずに誉めるのはどうじゃ。(それは)まずもって正しい男女の道に背くものであり親不孝でもある。こんな風でも恋愛か恋知りか」と歯に衣着せずに語ったが、(こうして)問い詰められた翁は、まことしやかに丸め込む言葉も出ず、漆に負けて閉口するばかりであった。 |
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第二十五話 ①螻、罷り出て曰く、「翁、何を歟教へんとす。②我教へをまたずして土を潜り、学ばずして水上を行き、習はざれ共、少しは飛ぶ。人また教へを待たずして乳を吸ひ、学ばずして泣く、習はざれども笑ふ。③惻隠是非の心あるも、教へを待つて求めたるものなる歟。先生なにをか教へんとす」。
翁の曰く、「なる程汝が言のごとく、教へを待たずして泣き、学ばざれ共笑ふ事、人皆然り。④然りと雖も⑤其の然る本を知らざれば、泣くまじき事に泣き、笑ふまじき事に笑ふ。惻隠是非の心も習はずして、人皆是あり。然りといへども、其の本を失はざる人又すくなし。⑥磨けど磷はず、捏けれど淄まずとは、⑦聖賢の事にして、⑧小人はたゞ朱に交はれば赤うなる。⑨或る僧、我に語つて曰く、『予本狩人にて有りしが、幼少にて初めて小鳥を打ちしとき、其の鳥の苦しむを見て、流石惻隠の心あれば、心に快からず。為まじき事をせし事よと、悔しがりしが、後々は馴れて何共なかりし也。其の後また初めて獣を打ちし時、其の苦しむを見、其の声を聞きて、惻隠の心なからんや。甚だ心に快からず。殺生は是ぎりとまで思ひしが、是も馴れては何共思はず。後にては却つて狐や狸は心に足らず、熊猪を打たざれば、殺生せしとは思はざりし。⑩兎かく凡夫は物に馴れ安く、危ふきものなり。是を思へば、盗賊などに成るものも、惻隠羞悪の心あれば、初めは心に恥ぢもしたり、心に快き事もあらじ。馴れれば何とも無きやうに成り、後々は小盗などは心に足らず、終には⑪切りどり強盗にもなると見えたり。我等も道をきかずして、前のすがたで居るならば、いかばかりの悪人になりもやすらん』と身震いして懴悔咄、誠に此の僧のいひしごとく、凡夫はものに馴れ安く、危ふきものなり。⑫糸の色々に染まるを見て、悲しみし人もあり。⑬人の性は善なれ共、教へなくして可ならんや。⑭卞和が璞も、琢磨の後、夜光となる。⑮生地安行の聖人さへ、『⑯十有五にして学に志し、七十にして心の欲するところに従へども、矩を踰えず』と曰はずや。汝、僅かの⑰材智に誇り、自ら是として、教へを待たずして足れりといふ。是を儒家には、⑱自暴というて除けものにし、仏家には、是を⑲我見といふて付き合はぬ。且つ汝、我が力人に越え、身に⑳芸術あるに誇り、おのれに如く者なしと思へり。是所謂21井の内連中。汝が自慢の芸術に、22柳生関口の印可を添へ、汝が自負の勇力に、亦百人の力を増すとも、翁が目には23井の端の小児、危ふし危ふし」。
螻、腹立てて曰く、「我に百人の力を加へば、芸術はたのまずとも24誰にか天窓をあげさすべき。何ものにか勝たざるべけん」。
翁、笑うて曰く、「25力山を抜き、術風に乗る事を得たりとも、おのれにかつ事能はずしては危ふし/\。其のおのれに克つ事は、学問の力にあらずして何ぞ。汝がごとき、己にかつ力無くして、強きを頼み、芸にほこる輩は、死なずといへども、26僥倖にして免れたる中間なり。扠また術千人にもすぐれ、力人に越えたるものは、世界に強いものなしと思はん。是則ち井の内連中。何ほど術に達しても、何程力が強うても、歳といふ強いものに出合ひては、手足の力も弱り、腰もかゞみ、歯も抜け、目も耳も疎くなる。此のとき其の術いづれの所にかある。力いづれの所に歟ある。扠また27一統こはひものあり。汝、土を潜り、水上を歩行み、飛行の術有りといふ共、一度28雀鶏に出合ひなば、其の術共に取りてゆかん。此のときに至り、日比の我は何処にあるぞ。常に此の所を忘れざれ」。 |
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螻蛄(おけら)が出て来て、「翁は、何を教えようとするのか。私は教えを待たなくても土に潜り、学ばなくても水の上を歩き、習わなくても少しは飛ぶことができる。人(の赤子)もまた教えを待たなくても乳を吸い、学ばなくても泣くし、習わなくても笑う。(また、人には)憐れみや善悪を見分ける心が備わっているが、教えを待って身につけたものなのか」と言った。
翁は、「なるほどそなたの言葉のとおり、教えを待たないで泣き、学ばないけれども泣くこと、人はみなそのとおりだ。そのとおりではあるが、それがそうなる根本のところを知らないので、泣いてはならないことに泣き、笑ってはならないことに笑う。憐れみや善悪を見分ける心は習わなくても、人はみなこれを備えている。そのとおりであるが、その根本のところを失わない人は少ない。どんなに磨いても薄くならず、いくら塗っても黒くならない(というように外力の影響を受けない)のは、尭舜や孔子などの聖人や賢人のことであって、小人物は交わる相手によって善悪のどちらにも感化されるものである。ある僧侶が私に語ったのは、『私はもと狩人であったが、幼少で初めて小鳥を撃ったとき、その小鳥の苦しむのを見て、さすがに憐れみの心があったので、内心では不快な気分になって、してはならないことをしてしまったことだと後悔したが、後々には(それにも)慣れて何とも思わなくなってしまったのだ。その後また、初めて獣を撃ったとき、その苦しむのを見て、その声を聞いて、憐れみの心を感じざるを得なかった。内心でははなはだ不快な気分になって、殺生はこれっきりにしようと思ったが、これも慣れてしまうと何とも思わないようになった。後にはかえって狐や狸では物足りなくなり、熊や猪を撃たなければ、殺生をしたとは思わなくなった。ややもすると凡人は物事に慣れやすく、危険な状態にも陥ってしまうものなのだ。これを思うと、盗賊などになる者も、憐れみの心や不善を憎む心を持っているので、初めは心の中で恥じたりもし、快い気持ちも感じないだろうが、慣れると何とも感じないようになり、その後その後と重ねると小さな盗みなどでは満足できず、最後には人を斬り殺して金品を奪う強盗にもなるものと判断されるのだ。我々も人としての道を学ばないで、今までどおりの生き方をしていたならば、どんな悪人になるのだろうか』と身震いしての懺悔話であった。本当にこの僧が言ったように、普通の人間は物事に慣れやすく、危ういものである。糸がさまざまな色に染まるのを見て、悲しんだ人もいる。人間の本性は善であるが、徳性へ導く教えがなくてはならないのである。楚の国の卞和が見付けたあらたまも、名人が磨いた後には、夜光の珠となった。生まれながらにして道徳の何であるかを知り、安んじてそれを実行することができる(孔子のような)聖人でさえ、『十五歳で聖王の教えである礼楽を学ぼうと決心し、七十歳になると思うままに振る舞ってもそれで道理に外れることがなくなった』とおっしゃったではないか。(それなのに)そなたは少しばかりの才能や知恵を誇って、自らを正しいとして、教えを待たなくても十分だと言った。このような態度を、儒家では、自暴(自分で自分の身を粗末にする者)といって除け者にし、仏家では、我見(自分中心の見方や高慢な見解を持つ者)といって付き合わない。その上、そなたは、自分の力が人よりすぐれ、身に武芸や技術を備えていることを誇り、自分に及ぶ者がいないと思っている。これがいわゆる井戸の中にいて広い世界を知らない連中なのだ。そなたが自慢の武芸や技術などに、剣術の柳生流や柔術の関口流の極意を得た免許を添えて、そなたの自負する勇力に、さらにまた百人力を加えたとしても、この翁の目には井戸の傍にいる幼い子どもに過ぎず、危ないことだ危ういことだ」。
螻蛄は腹を立てて、「私に百人の力を加えると、(他に)武芸や技術を頼まなくても、誰に勢力を伸ばさせるようなことがあろうか。(私にとって)勝つことのできない何者があろうか」と言った。
翁は笑いながら、「たとえ山を引き抜くほどの力があり、風に乗って空を飛ぶ術を身につけていたとしても、自分に克つことができなくては、危ないのだ、危ういのだ。その自分に克つということは、学問の力がなくては叶わないことなのだ。そなたのように自分に克つ力がないのに、武力を頼みにし、武芸に誇る連中は、たとえ死を免れたとしても、幸いにして(たまたま)死を免れることができた仲間でしかないのだ。そしてまた術が千人の人よりすぐれ、力が人並みを越えている者は、世界に自分より強い者はないと思うだろう。(だが)これこそ井の中の蛙のようなものだ。どれほどの術に達しても、どれほど力が強くても、歳というこわいものに出会っては、手足の力も弱くなり、腰も曲がり目も耳も疎くなる。そうなった時にその術やその力はどこにあるのだ。さらにまた、もっとも恐ろしいものがある。たとえそなたに、土に潜り、水上を歩き、空を飛ぶ技があるといっても、ひとたびつぐみに出会ったならば、その術と一緒に取り去っていくだろう。その時になって、日頃の我見はどこに存在するのだ。常にこのことを忘れてはならないのだ」と答えたのであった。 |
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