「賣卜先生糠俵・後編」紹介第10回
第十八話・第十九話(読み下し文、現代語訳)
恩田満
2010.04.11
今回は、「賣卜先生糠俵・後編」の第十八話・第十九話をお届けします。
第4回から、サーバー容量の関係等により、原文・挿絵の写真版は省略し、読み下し文と現代語訳のみの紹介とさせていただいています。

* 前回迄同様、詳しい注釈および解説については、筆者下記ホームページ内の 「日本の古典」 の項をご参照いただきたいと思います。
(読み下し文の数字を振っている語句について、注釈を付けています)。

    http://onda.frontierseminar.com/

* 本文および注釈・解説などを引用あるいは転載なさる場合は、必ず事前に筆者の了解を得て下さい。

   なお、底本は、「心学明誠舎」 舎員の飯塚修三氏の蔵書から複写したものを使用しています。

近世文書に馴染みのない方は、現代語訳だけをお読みいただいても、心学道話の面白さを味わっていただけます。下記をクリックしてください。(編集者)
   【 現代語訳 】 第十八話→  第十九話→


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第十八話

(これ)なるは、拙者(せつしや)@竹馬(ちくば)朋友(ほういう)にて、(もと)よりA愚痴(ぐち)にはなき人なれ共、此の夏、B愛子(あいし)先立(さきだ)てて此のかた、其の子の事のみくよ/\おもひ、あのごとく憔悴(せうすい)に及ぶ。何とぞよき御考へはあるまじきや」

翁の曰く、「其元(そこもと)は我が子の()んだを、死ぬまじきものゝ死んだやうに不思議(ふしぎ)に思ふ()」。

客の曰く、「(おほ)せの(ごと)日比(ひごろ)病身者(びやうしんしや)ならば、其の(はづ)(とも)思ひ、あきらむべきが、無病(むびやう)なる()まれ付きにて、C痘瘡(ほうそう)麻疹(はしか)(かる)仕上(しあ)がり、其の後(ますます)達者(たつしや)にて、風ひとつひかざりしに、D中暑(ちゆうしよ)とやらいふ(やまひ)をうけ、ふと目を見つめて(むな)しくなる。是が不思議(ふしぎ)にあるまいか」。

翁の曰く、「E()んだばかりを不思議(ふしぎ)におもひ、()まれたはふしぎ()()()きて(うご)くは不思議にあらずや。汝に(かぎ)らず、人は、(ただ)F(ふくろう)蝙蝠(かうもり)などの、G昼は大山(たいさん)を見る事あたはずして、夜は(のみ)をとり、()を取ると聞いては、不思議なりとおもへ共、自身(じしん)の目に、さま/゛\の色を見分くるをば、不思議にはおもはず。辣茄(たうがらし)(から)いはいかなる故ぞ、砂糖(さたう)(あま)いは何故(なにゆゑ)ぞと不思議がれ共、()(あぢ)はひを覚える自身(じしん)(した)を、ふしぎなりとはおもはず。何ひとつ不思議にあらざる事なけれ共、ふしぎなりと思はざる故、死んだばかりを不思議に思ひ、彼是(かれこれ)と心を(いた)る。()まれたをも不思議に思はゞ、()んだとて、Hさほど憔悴(せうすい)するには及ばじ」。

朋友(ほういう)の曰く、「翁の仰せらるゝ(とほ)り、()も不思議、生もふしぎ、(さいはひ)もふしぎ、(わざはひ)もふしぎ、ひとつ/\()してゆくに、(なに)一つ不思議にあらざるはなけれども、I(そら)すべりして不思議と思はず。まづ自身(じしん)のJ視聴(しちやう)言動(げんどう)(はじ)め、何が故に()、何が故に()き、何が故に()ひ、何が故に(うご)く、何が故に()くの(ごと)くさま/゛\の事を思ふぞと、ひとつ/\ふしぎを()て、K不思議一遍(いつぺん)になつて、()()(わす)れ、寝食(しんしよく)も忘るゝばかり、(ちから)を入れて工夫(くふう)せば、どこぞのはしでは、其のL不思議の(そこ)ぬけて、Mみづたまらねば、月も宿(やど)らずといふ場所(ばしよ)(いた)るべき()

翁の曰く、「是もひとつの工夫(くふう)なり。さりながら、N疲力(ひりき)にては何とかあらむ。扠また憔悴(せうすい)どの、其元も、O()んだ子の(とし)ばかり(かぞ)えずとも、何にても、不思議にないものあるならば、(たづ)()して()つてござれ」。
 

【第十八話 現代語訳】

 (ある人が)「ここにいるのは、拙者の幼なじみの友だちで、もともと愚かで道理がわからないような人ではないが、この夏に、愛する子に先立たれて以来、その子のことばかりをくよくよ嘆いて、あのように憔悴しきっている。何かよいお考えはありませんでしょうか」(と翁に尋ねた)。

 翁は(朋友と呼ばれた人物に向かって)、「そなたはわが子が死んだことを、死ぬはずがない者が死んだように不思議なことだと思っているのか」と言った。

 客(朋友)は、「仰せの通り、日頃から病気がちの者ならば、その筈だとも思って諦めるべきでしょうが、無病なる生まれ付きで、疱瘡や麻疹などの病気も軽くて済み、その後ますます健康で、風邪一つ引かなかったのに、暑気あたりとかいう病にかかり、ふと(私の)目を見つめて死んでしまいました。これが不思議ではないでしょうか」(と言った)。

 翁は、「死んだことだけを不思議に思って、生まれたことは不思議ではないのか。生きて動くのは不思議ではないのか。そなたに限らず、人々は、ただ夜に活動するふくろうやこうもりなどの鳥が、昼は大きな山も見ることができないでいるが、夜は蚤を取り蚊を取ると聞いては、不思議だとは思うけれど、自分の目でさまざまな色を見分けることを不思議だとは思っていない。唐辛子が辛いのはどういうわけだ、砂糖が甘いのはなぜだと不思議がるけれど、その味わいを覚える自分の舌の力を不思議だとは思っていない。(世の中に)何一つとして不思議でないものはないのだが、不思議だと思わないからこそ、死んだことだけを不思議だと思い、あれこれと気にやむのだ。産まれたことを不思議だと思うようになったら、たとえ死んだとしても、それ程までに憔悴することにはならないだろう」。

 朋友は、「翁のおっしゃるとおり、死も不思議、生も不思議、福も不思議、禍も不思議で、一つ一つ推し進めて行くと、何一つ不思議でないものはないのですが、(私は)本質が見抜けないので不思議だとは思わないのです。まず、自分が見ること・聴くこと・言うこと・動くことをはじめとして、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのか、なぜ話せるのか、どうして動くのか、どうしてこのようにさまざまなことをおもうのかなどと、一つ一つのことに疑問を持って、すべてが不思議だという思いになって、立ち居の動作も忘れ、寝食も忘れるほど、熱心に修行に取り組めば、どこかの時点で、その不思議だと思う心の底がぬけて、桶に水がたまっていないので、月の光も映らないというような悟りの境地まで到達すべきなのですか」と尋ねた。

 翁は、「それも一つの修行ではある。しかしながら、精神が疲れ切った状態ではどうにもならないだろう。さて、また憔悴殿、そなたも死んだ子の年ばかりを数えてばかりいないで、何でもいいから、不思議でないものがあるならば、探し出して持っていらっしゃい」と諭したのだった。

 

(第十九話・現代語訳へ→)

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第十九話

「@(それがし)は、此のあたりの藪医(やぶい)にて、医道(いだう)は本よりA師家(しか)あれば聞くに(およ)ばず、渡世(とせい)の事に付き、御考へ頼みたし。療治(れうぢ)(およ)そB口に()する程はあれ共、(ほか)の業と(たが)ひ、C家居(いへゐ)衣体(えたい)()りこまざれば()れが(にぶ)く、はり込めばまたD造用(ざふよう)()け、()まる所は、E杉原(すぎはら)反古(ほぐ)辛労(しんど)とが利になるばかり。如何(いかが)せば安楽(あんらく)ならん。昨年(さくねん)のやうな麻疹(はしか)が、年毎(としごと)に二、三度づゝも、流行(りうかう)すれば()けれ共、偶々(たまたま)の事なる故、去年の(まう)けは(かへ)つて、今年のF痃癖(けんびき)になり、G按摩(あんま)とりに(いた)るまで、格式(かくしき)()がり迷惑(めいわく)ならん。風邪(かぜ)麻疹(はしか)(いきほ)ひに、これまでH裏屋(うらや)()んで来たも、(にはか)(おもて)へ出かくるやら、小家(こいへ)なりしも、(きふ)に大きな所へ(うつ)り、I要心(ようじん)(をけ)杉形(すぎなり)()み、J格子(かうし)こまよせを自前に()()み、K無僕(むぼく)成りしも(とも)をつれ、(いち)(ぼく)は二人供にし、二人もつれしは、Lかつに()つて()すも有り。夫れに付いては、古借銭(ふるしやくせん)()まさねば合点(がてん)せず、(たた)まつて有りし妻子(さいし)()()せも、()うた時、M(かた)()いで(こしら)へ、其の(ほか)(たたみ)表替(おもてが)へ、(ふすま)の張り替へ、何の()のと物入り多く、N(たから)(さか)つて()仕舞(しま)ひ、残りし物は、格式(かくしき)()がつたと、()(もの)得意(とくい)()えたばかり。その難渋(なんじふ)」。

翁の曰く、「夫れは御医者(いしや)()()(かぎ)らず、(おご)りには()れよき物(なり)。ある(ところ)にO水つきの田地(でんぢ)多く有りて、P水年には植付(うゑつ)けの出来ぬ村有り。夫れ故、Q定免(ぢやうめん)()(くだ)され、十年の内、三年満作(まんさく)なれば(にぎ)はひ、二年なれば(こん)(きゆう)す。(ふる)き人に聞き合はすに、四、五十年も其の通り。然るに四、五年以前(いぜん)まで、R満作(まんさく)七年続きし事あり。S一村の(にぎ)はひいふべからず。(さて)其の翌年(よくねん)21(ひと)(あき)不作(ふさく)なりしに、一村甚だ困窮(こんきゆう)せしと聞き及ぶ。是をいかんといふに、其の所の人の曰く、『我等が在所(ざいしよ)には、22(かさ)木履(ぼくり)も、家々(いへいへ)にはなかりし村なり。七年満作(まんさく)(つづ)きし内に、日傘(ひがさ)草履(ざうり)下駄(げた)ない家もなく、23かさね草履(ざうり)24(じや)()(がさ)(ぐらゐ)は、25朝腹(あさはら)(ちや)()にもさしかけ、(かみ)(かざ)りから身の回り、だん/\と(おご)りが付き、困窮(こんきゆう)するもふしぎならず。百姓は質朴(しつぼく)なるものなれ共、(おご)りには()れ安き物なり』とかたりぬ。『商家(しやうか)も年々()びる身体(しんだい)(あや)ふし。ある年は(あま)り、()る年は()らざる(いへ)こそ、(かへ)つて長久(ちやうきう)なるもの也』といひし人有り。是も心得(こころえ)に成るべき事也」。

藪医(やぶい)の曰く、「余所(よそ)渡世(とせい)は聞きに参らぬ。我()ふ所の(こた)如何(いかん)

翁の曰く、「26渡世のために療治(れうじ)せざれ、療治をして渡世にせられよ。(かた)きを(さき)にして、()る事を(のち)にせば、27さのみ(おご)りにはなれまじきぞ」
 

【第十九話 現代語訳】

(ひとりの人物がやってきて)「私はこのあたりで開業する藪医者でして、医道についてはもともと教えを学ぶ師の家があるので聞く必要がありませんが、世渡りのことについて、お考えを聞かせていただきたい。治療による収入もだいたい何とか生活できる程度はありますが、他の仕事と違って、住まいや着る物に大金を使わなければ売り上げが伸びないし、張り込めばまた住まいの増改築や衣服の調達の費用がかさみ、結局のところ、杉原紙の書き損じが残ることと、骨折り損のくたびれもうけになるだけなのです。どうすれば楽になるのでしょうか。去年のような麻疹が、毎年二、三回ずつでも流行すればよいのですが、たまたまのことでしたので、去年の儲けが却って今年の心配事になって、肩凝りで按摩を頼むことになったほどで、格式が上がったせいで迷惑をしております。風邪と麻疹の流行で、これまで裏通りで開業していた者も、急に表通りに出て来るやら、小さな構えだった所も、急に大きな所へ移り、火事に備えた水桶を三角形に積み上げ、格子戸や柵を自前で張り込んで、召使いを持たなかった人もお供を連れるようになり、供一人だった者は二人にし、二人連れていた者は、勝ちに乗じて勢いが盛んになったりしている。それに対して私は、古い借金も支払わなければ納得できず、畳んであった妻子の着物も、顔を合わせてしまったので、思い切って新調し、その他は畳の表替え、ふすまの張り替えと、何のかのと物入りが多く、財産が道理に背いて出てしまって、残ったものは、格式が上がったことと、買い物の得意先が増えただけなのです。その難渋(をわかって下さい)」。

 翁は、「それはお医者さんばかりではなく、(誰でも)贅沢には馴れやすいものである。(ところで)ある所には、洪水に遭った田地が多くあるかと思えば、渇水の年には稲の植え付けができない村もある。そこで、お上が定免制度の命令をお下しになってからは、十年の間で、三年間の豊作があれば村は賑わい、二年間であれば困窮する。昔の人に聞き合わせてみたところ、四、五十年間もその通りだった(そうだ)。ところが、四、五年前まで、豊作が七年続いたことがあった。村中の賑わいは言葉で表せないほどだった。そうしてその翌年は、秋を通して不作であったので、村中が甚だ困窮したと聞き及んでいる。これはなぜかというと、その村の人が言うには『我々の在所は、傘や下駄がどの家にもなかった村でした。(ところが)七年も豊作が続いたうちに、日傘や草草履がない家もなくなり、重ね草履や蛇の目傘ぐらいは、いとも容易に履いたりさしたりするようになり、髪飾りから身の回りに至るまで、だんだんと贅沢になったので、困窮するのも不思議ではありません。百姓は質朴な者であるが、贅沢には慣れやすいのです』ということだった。(また)『商家の場合も、年々成長する身代は危ない。ある年は余り、ある年は足らないような家こそ、却って長く続くものである』と語った人もいた。これらも(そなたの)心得になるはずのことだ」と語った。

 (そこで)藪医が「私はよその世渡りについて聞きに参ったわけではない。私が尋ねたことの答えはどうなんですか」と不満を言ったところ、

翁は、「自分の世渡りの手段としての療治をせず、人を救う療治をして世を渡られよ。困難なことから先に取り組み、利益を得ることを後にするなら、さほど贅沢に馴れることはないだろうよ」と諭したのであった。

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