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(ある人が)「ここにいるのは、拙者の幼なじみの友だちで、もともと愚かで道理がわからないような人ではないが、この夏に、愛する子に先立たれて以来、その子のことばかりをくよくよ嘆いて、あのように憔悴しきっている。何かよいお考えはありませんでしょうか」(と翁に尋ねた)。 翁は(朋友と呼ばれた人物に向かって)、「そなたはわが子が死んだことを、死ぬはずがない者が死んだように不思議なことだと思っているのか」と言った。 客(朋友)は、「仰せの通り、日頃から病気がちの者ならば、その筈だとも思って諦めるべきでしょうが、無病なる生まれ付きで、疱瘡や麻疹などの病気も軽くて済み、その後ますます健康で、風邪一つ引かなかったのに、暑気あたりとかいう病にかかり、ふと(私の)目を見つめて死んでしまいました。これが不思議ではないでしょうか」(と言った)。 翁は、「死んだことだけを不思議に思って、生まれたことは不思議ではないのか。生きて動くのは不思議ではないのか。そなたに限らず、人々は、ただ夜に活動するふくろうやこうもりなどの鳥が、昼は大きな山も見ることができないでいるが、夜は蚤を取り蚊を取ると聞いては、不思議だとは思うけれど、自分の目でさまざまな色を見分けることを不思議だとは思っていない。唐辛子が辛いのはどういうわけだ、砂糖が甘いのはなぜだと不思議がるけれど、その味わいを覚える自分の舌の力を不思議だとは思っていない。(世の中に)何一つとして不思議でないものはないのだが、不思議だと思わないからこそ、死んだことだけを不思議だと思い、あれこれと気にやむのだ。産まれたことを不思議だと思うようになったら、たとえ死んだとしても、それ程までに憔悴することにはならないだろう」。 朋友は、「翁のおっしゃるとおり、死も不思議、生も不思議、福も不思議、禍も不思議で、一つ一つ推し進めて行くと、何一つ不思議でないものはないのですが、(私は)本質が見抜けないので不思議だとは思わないのです。まず、自分が見ること・聴くこと・言うこと・動くことをはじめとして、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのか、なぜ話せるのか、どうして動くのか、どうしてこのようにさまざまなことをおもうのかなどと、一つ一つのことに疑問を持って、すべてが不思議だという思いになって、立ち居の動作も忘れ、寝食も忘れるほど、熱心に修行に取り組めば、どこかの時点で、その不思議だと思う心の底がぬけて、桶に水がたまっていないので、月の光も映らないというような悟りの境地まで到達すべきなのですか」と尋ねた。 翁は、「それも一つの修行ではある。しかしながら、精神が疲れ切った状態ではどうにもならないだろう。さて、また憔悴殿、そなたも死んだ子の年ばかりを数えてばかりいないで、何でもいいから、不思議でないものがあるならば、探し出して持っていらっしゃい」と諭したのだった。 |
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第十九話 「@某は、此のあたりの藪医にて、医道は本よりA師家あれば聞くに及ばず、渡世の事に付き、御考へ頼みたし。療治も凡そB口に糊する程はあれ共、外の業と違ひ、C家居衣体を張りこまざれば売れが鈍く、はり込めばまたD造用に負け、詰まる所は、E杉原の反古と辛労とが利になるばかり。如何せば安楽ならん。昨年のやうな麻疹が、年毎に二、三度づゝも、流行すれば能けれ共、偶々の事なる故、去年の儲けは却つて、今年のF痃癖になり、G按摩とりに至るまで、格式が上がり迷惑ならん。風邪と麻疹の勢ひに、これまでH裏屋で済んで来たも、俄に表へ出かくるやら、小家なりしも、急に大きな所へ移り、I要心桶を杉形に積み、J格子こまよせを自前に張り込み、K無僕成りしも供をつれ、一僕は二人供にし、二人もつれしは、Lかつに乗つて押すも有り。夫れに付いては、古借銭も済まさねば合点せず、畳まつて有りし妻子の仕着せも、逢うた時、M肩脱いで拵へ、其の外畳の表替へ、襖の張り替へ、何の角のと物入り多く、N財悖つて出て仕舞ひ、残りし物は、格式の上がつたと、買ひ物得意の殖えたばかり。その難渋」。 翁の曰く、「夫れは御医者而已に限らず、奢りには馴れよき物也。ある所にO水つきの田地多く有りて、P水年には植付けの出来ぬ村有り。夫れ故、Q定免に成し下され、十年の内、三年満作なれば賑はひ、二年なれば困窮す。古き人に聞き合はすに、四、五十年も其の通り。然るに四、五年以前まで、R満作七年続きし事あり。S一村の賑はひいふべからず。扠其の翌年、21一秋不作なりしに、一村甚だ困窮せしと聞き及ぶ。是をいかんといふに、其の所の人の曰く、『我等が在所には、22傘木履も、家々にはなかりし村なり。七年満作続きし内に、日傘草履下駄のない家もなく、23かさね草履、24蛇の目傘位は、25朝腹の茶の子にもさしかけ、髪の飾りから身の回り、だん/\と奢りが付き、困窮するもふしぎならず。百姓は質朴なるものなれ共、奢りには馴れ安き物なり』とかたりぬ。『商家も年々延びる身体は危ふし。ある年は余り、或る年は足らざる家こそ、却つて長久なるもの也』といひし人有り。是も心得に成るべき事也」。 藪医の曰く、「余所の渡世は聞きに参らぬ。我問ふ所の答へ如何」。 翁の曰く、「26渡世のために療治せざれ、療治をして渡世にせられよ。難きを先にして、得る事を後にせば、27さのみ奢りにはなれまじきぞ」。 |
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(ひとりの人物がやってきて)「私はこのあたりで開業する藪医者でして、医道についてはもともと教えを学ぶ師の家があるので聞く必要がありませんが、世渡りのことについて、お考えを聞かせていただきたい。治療による収入もだいたい何とか生活できる程度はありますが、他の仕事と違って、住まいや着る物に大金を使わなければ売り上げが伸びないし、張り込めばまた住まいの増改築や衣服の調達の費用がかさみ、結局のところ、杉原紙の書き損じが残ることと、骨折り損のくたびれもうけになるだけなのです。どうすれば楽になるのでしょうか。去年のような麻疹が、毎年二、三回ずつでも流行すればよいのですが、たまたまのことでしたので、去年の儲けが却って今年の心配事になって、肩凝りで按摩を頼むことになったほどで、格式が上がったせいで迷惑をしております。風邪と麻疹の流行で、これまで裏通りで開業していた者も、急に表通りに出て来るやら、小さな構えだった所も、急に大きな所へ移り、火事に備えた水桶を三角形に積み上げ、格子戸や柵を自前で張り込んで、召使いを持たなかった人もお供を連れるようになり、供一人だった者は二人にし、二人連れていた者は、勝ちに乗じて勢いが盛んになったりしている。それに対して私は、古い借金も支払わなければ納得できず、畳んであった妻子の着物も、顔を合わせてしまったので、思い切って新調し、その他は畳の表替え、ふすまの張り替えと、何のかのと物入りが多く、財産が道理に背いて出てしまって、残ったものは、格式が上がったことと、買い物の得意先が増えただけなのです。その難渋(をわかって下さい)」。 翁は、「それはお医者さんばかりではなく、(誰でも)贅沢には馴れやすいものである。(ところで)ある所には、洪水に遭った田地が多くあるかと思えば、渇水の年には稲の植え付けができない村もある。そこで、お上が定免制度の命令をお下しになってからは、十年の間で、三年間の豊作があれば村は賑わい、二年間であれば困窮する。昔の人に聞き合わせてみたところ、四、五十年間もその通りだった(そうだ)。ところが、四、五年前まで、豊作が七年続いたことがあった。村中の賑わいは言葉で表せないほどだった。そうしてその翌年は、秋を通して不作であったので、村中が甚だ困窮したと聞き及んでいる。これはなぜかというと、その村の人が言うには『我々の在所は、傘や下駄がどの家にもなかった村でした。(ところが)七年も豊作が続いたうちに、日傘や草草履がない家もなくなり、重ね草履や蛇の目傘ぐらいは、いとも容易に履いたりさしたりするようになり、髪飾りから身の回りに至るまで、だんだんと贅沢になったので、困窮するのも不思議ではありません。百姓は質朴な者であるが、贅沢には慣れやすいのです』ということだった。(また)『商家の場合も、年々成長する身代は危ない。ある年は余り、ある年は足らないような家こそ、却って長く続くものである』と語った人もいた。これらも(そなたの)心得になるはずのことだ」と語った。 (そこで)藪医が「私はよその世渡りについて聞きに参ったわけではない。私が尋ねたことの答えはどうなんですか」と不満を言ったところ、 翁は、「自分の世渡りの手段としての療治をせず、人を救う療治をして世を渡られよ。困難なことから先に取り組み、利益を得ることを後にするなら、さほど贅沢に馴れることはないだろうよ」と諭したのであった。
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