「賣卜先生糠俵・後編」紹介第8回
第十四話・第十五話(読み下し文、現代語訳)
恩田満
2010.03.10
今回は、「賣卜先生糠俵・後編」の第十四話・第十五話をお届けします。
第4回から、サーバー容量の関係等により、原文・挿絵の写真版は省略し、読み下し文と現代語訳のみの紹介とさせていただいています。

* 前回迄同様、詳しい注釈および解説については、筆者下記ホームページ内の 「日本の古典」 の項をご参照いただきたいと思います。
(読み下し文の数字を振っている語句について、注釈を付けています)。

    http://onda.frontierseminar.com/

* 本文および注釈・解説などを引用あるいは転載なさる場合は、必ず事前に筆者の了解を得て下さい。

   なお、底本は、「心学明誠舎」 舎員の飯塚修三氏の蔵書から複写したものを使用しています。

近世文書に馴染みのない方は、現代語訳だけをお読みいただいても、心学道話の面白さを味わっていただけます。下記をクリックしてください。(編集者)
   【 現代語訳 】 第十四話→  第十五話→


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第十四話

 (うご)くな/\。おのれこそは、@チクラが(おき)にかくれ()まつくろ黒なくろ鬼とは(いつは)り、誠はA四条河原(しでうがはら)徘徊(はいくわい)するB乞食(こつじき)で有らうがな」

「これはこれは、C見通し様でござりますが、私もD(はら)からの乞食でもござりませぬ。少しの心得(こころえ)違ひより、かやうな浅間しき(なり)に成りましてござりまする」

翁曰く、

「E形輪(かたは)()或いは孤独(こどく)なんどは、F是非(ぜひ)なく乞食となりもせめ、(なんぢ)五体(ごたい)不具(ふぐ)にもあらず、G何業(なにわざ)でも()かねまじきかつぽくにて、H非人(ひにん)仲間(なかま)(おちい)るとは、嗚呼(ああ)I天なる歟、時なるか」

乞食Jかぶり()つて曰く、

「天にもあらず、時にもあらず。皆K私がなす所なり。乞食にはなるまじき、非人(ひにん)とはいはれまじと、人らしき(こころ)有りては、乞食にはなられませぬ」

翁の曰く、

「L如何(いか)(さま)乞食にも、大体(たいてい)ではなられぬと聞く。M(ふか)伝授(でんじゆ)も有りや如何(いかん)

乞食N見上(みあが)りして曰く、

格別(かくべつ)ふかきO秘事(ひじ)口伝(くでん)もおはしまさず。(ただ)(とも)(えら)むにあり。()(とも)(まじ)はりては、中々非人(ひにん)にはなられぬものなり。()しき(とも)を友として、(さけ)()(なら)ひ、(うそ)もつきならひ、窮屈(きゆうくつ)な事を(きら)ひ、夜遊びを()き、小博奕(ばくち)も打ち覚え、第一、親の()()けをきかぬ様にし、伯父(をぢ)叔母(をば)P異見(いけん)(もち)いず、乞食にならねばならぬ様に身をもてば、(つひ)には乞食となるものなり。奉公人も同じ手段(しゆだん)最初(さいしよ)はあしき(とも)(まじ)はり、まづQ新地(しんち)(へう)()(あぢ)を覚え、R(かげ)日向(ひなた)を第一にして、S小宿(こやど)にては()()仕習(しなら)ひ、21三絃(ずる)チツクリかじり(なら)ひ、22次第に(どろ)に塗が付き、上達(じやうたつ)するに(したが)つて、23主人(しゆじん)番頭(ばんとう)の目を()き覚え、24請け人に預けられても、25(はぢ)を恥としらざれば、(なほ)さんとする心なく、26宿(やど)の伯母までむごうだまし、(のち)には(たたず)む所さへ、27何にもなしのてんつるてん。(これ)でも乞食(こつじき)にならずんば、天か時かと(うたが)ふべし」

翁、28小童(こもの)()んで曰く、

29米でも銭でも()つて(いな)せ。(まこと)30水は方円(はうゑん)(うつは)ものにしたがひ、人は善悪(ぜんあく)(とも)による。彼等(かれら)も友によらずんば、乞食(こつじき)(まで)にはなるまじき。たとへ気質(きしつ)は人()みにあらず(とも)31(あさ)の中なる(よもぎ)を見よ。()き人に(まじ)はりて、人の人たる道をしらば、非人(ひにん)とは()はれまじ。32(かなら)余所(よそ)の事では()い。乞食(とほ)きにあらず。33人のふり見て我が()りなほせ。子曰く、『34三人(さんにん)(おこな)ふときは、(かなら)()()あり焉、()()(もの)(えら)んで(これ)(したが)ひ、()()からざる(もの)(これ)(あらた)む』」

 

【第十四話 現代語訳】

「動くな動くな。お前は、筑羅に隠れ住む真っ黒くろな黒鬼とは偽りで、本当は四条河原をうろつく乞食であろうが」

「これはこれは、お察しの通りでございますが、私ももとからの乞食でもございません。少しの心得違いによってこのようなみすぼらしい身なりになったのでございます」

 翁が、

「体に障害があったり身寄りがなかったりした場合などは、仕方なく乞食にもなるのだろうが、お前は、五体満足で、どんな仕事でもやりこなせる体格で、非人の仲間に落ち込むとは、ああ、天から与えられた運命なのか、それとも時のめぐり合わせなのか」と尋ねると、

 乞食は頭を左右に振って、

「天から与えられた運命でもありませんし、時のめぐり合わせでもありません。私自身が行ったことです。乞食にはなるまい、非人とは言われまいと(いうような)、人間らしい心があっては、乞食になることは出来ません」と答えた。

翁が、

「どうやっても乞食にも、並大抵のことではなれないと聞いている。深い奥義の秘伝でもあるのか、どうなのか」と(さらに)尋ねると、

 乞食は、

特別な奥義や秘伝はありません。ただ、友の選び方にあります。善い友と付き合っては、なかなか非人になることが出来るものではありません。悪い友を友として、酒の飲み方も習い、嘘の付き方も習い、夜遊びを好み、ちょいとした博奕も覚えることです。(また)第一に、親の言い付けを聞かないようにし、伯父や叔母のいさめの言葉を受け止めず、乞食にならなければならないように振る舞えば、最後には乞食となるものです。奉公人の場合も同じ方法で、最初は悪い友だちと付き合い、まず曾根崎遊郭で海鼠の味を覚え、人が見ている時は働き、人が見ていない時は怠けることを第一にして、(密会に使う)小宿では、買い食いすることを覚え、三味線もほんの少しだけ習えば、だんだん汚れの上に汚れが重なり、(悪事が)上達するに従って、主人や番頭の目をごまかすことを覚え、保証人に預けられても、恥を恥だと思わないので、改めようとする意志もなく、保証人の伯母まで無慈悲にだまし、最後には居場所さえも、何にもなしのすってんてん。これでも乞食にならないならば、(それこそ)天の運か時の運かと疑うべきでしょう」と思い上がった調子で答えた。

 翁は、小童を呼んで、

米でも銭でもやって追い返せ。誠に、水が四角形の器にも丸い器にも従うように、人が善人になるか悪人になるかは友によるものだ。彼も悪い友と付き合わなければ、乞食にまでなるはずはなかっただろう。たとえ気質が人並みでなくても、麻の中で真っ直ぐに伸びる蓬の姿を見よ。善い人と交際して、人の人としての正しい道を知ったならば、非人とは言われないだろう。決してよその人の話ではない。乞食は遠くにあるものではない。他人の行いの善悪を見て自分の行いを反省して改めよ。孔子先生は、『三人で行動する時は、必ず自分にとって師となる人がいる。その善き人を選んでそれを見習う。その善くない人についてはそれを見習わない』(とおっしゃっている)」と言ったのだった。 

(第十五話・現代語訳へ→)

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第十五話

 「拙者、@普請(ふしん)を致すに付き、御(うらな)ひ頼みたし。一昨年(おととし)までは親共の代、その時も只今(ただいま)人数(にんじゆ)替はりなけれども、A(しよ)道具も漸々(ぜんぜん)にふえ、何角(なにか)に付けて(せば)くもあり、B勝手(かつて)もあしく、()(なほ)す積もりなり」

翁の曰く、「C鬼門(きもん)ふさがりの事なる()。是は世間なみに()けたがよい。夫れは()もあれ、まづD『三年、父の道を(あらた)めざるを孝と()ふべし』とは、E()(のたまは)くに見えたり。是までF親の()来たりし事の内にて、()き事はいふに(およ)ばず、もし不勝手(ふかつて)なる事有りとても、(あらた)めざるを孝といふ。(こと)に親の代から、夫れなりで()んだる(いへ)、G堪忍(かんにん)せば、堪忍ならぬ事はあるまい。(たと)五間(ごけん)三間広うなつても、(よく)には限りのないものにて、H幾間(いくま)あつても、(いま)一間(ひとま)()らぬ」

客の曰く、「此の思ひ付き、(いま)(さら)の事にあらず。親共(おやども)は昔かた気の普請(ふしん)ぎらひ、夫れ故、()()しは致さねども、I四、五年此のかたの心(だく)み」

翁、顔をながめて曰く、「J然らば汝、()()に成つたら、(ここ)()うせん、彼所(かしこ)()くすべしと、K心の(そこ)工面(くめん)ありしか。夫れは(ちか)(ごろ)L親の()ぬるを()ちかねしといふ言分(いひぶん)、其の気ならば、親の手馴(てな)れし諸道具(しよだうぐ)()()らし、自分(じぶん)()きに()()へる気か。M()りとては冥加(みやうが)しらず。N扠又()い人は格別(かくべつ)や。()朋友(ほういう)何某(なにがし)先年(せんねん)病みし時、(われ)()うて曰く、『足下(そこもと)の病軽症なれども、再三(さいさん)の事なれば(あなど)られず。Oもし御老母に先立(さきだ)たば(なげ)きをかけん、P不孝にあらずや。御老母を見送(みおく)るまでは、大事の身なり』と養生(やうじやう)の事くり返しいひし時、其の病人Q不予(ふよ)の色見ゆ。扠は()多言(たげん)なるを(いと)ふかと、R首尾(しゆび)あしく帰りぬ。其の(のち)、日を()()て曰く、『足下いつぞや、不予(ふよ)の色ありしは如何(いか)なる(ゆゑ)ぞ』()何某(なにがし)の曰く、『老母を見送(みおく)るまでは、大事の身なりと仰せられしが、気に(さは)りぬ。親に先立つは不孝なり。(なげ)きを掛くるは(いや)なれども、親を見送る事は、いつまでも(なほ)(いや)なり。S(さか)さま事ともいへ、不孝ともいへ、老母を見送らんよりは、我が身を見送らるゝがましなり。此已後(いご)21かゝる御挨拶(あいさつ)、必ず遠慮(ゑんりよ)あれかし』と打ち込まれ、22(せき)(めん)せし事ありき。汝とは23雲泥(うんでい)(ちが)ひなり。汝も()い人に(まじ)はりて、人の人たる道を()かれい。相応(さうおう)()らし、当分(たうぶん)不自由(ふじゆう)に無い人は、学問(がくもん)せいでも、()んだ事のやうに思へども、(おのれ)()きな事か、(きら)な事()災難(さいなん)()()困窮(こんきゆう)するか、何んぞ事にあたつた時、学問(がくもん)(ちから)無くては、24(よく)(まよ)ひて(じや)()(おちい)る。扠又其元は、道具(だうぐ)()きと見え申す。諸道具も、25()ぎたるは(なほ)(およ)ばざるがごとし。26()(もの)なども(ただ)一幅(いつぷく)なれば、(ぼん)も正月も(まつり)にも、其の一幅にて不自由なる事なし。三幅か五幅持つと、はや不自由に成り、27ざつとした法事(ほふじ)の掛け物が一幅ほしいの、28庚申(かうしん)()ちのがないの、29戎講(えびすこう)のが()らぬのと、不自由だらけ。(はな)()けなども同じ事、30膳椀(ぜんわん)重箱(ぢゆうばこ)(たぐひ)も其の通り。(かず)(かさ)れば(かへ)つて不自由な。是も修行(しゅぎやう)して道を知れば、有つても不自由になく、()くても又不自由になし。扠此の間、()る人31()箪笥(だんす)(もと)めしとて、()に見せて曰く、『是はある大家(たいか)32(はら)ひものにて、いま(あら)たに調(ととの)へば、五十両も出づべきを、我等(われら)33下直(げじき)にて求めしなり。34かりそめの()道具(だうぐ)さへ、(かく)(ごと)くの35結構(けつかう)づくめ。36金具(かなぐ)(ばかり)(じつ)(きん)も掛かりしよし。37是ほどに(おご)らずば、身体(おほしんだい)(つぶ)されまい。分散(ぶんさん)めされしも(ことわ)りなり』と(かた)りぬ。()が曰く、『人の(あやま)ちを見つゝ、其の又道具を(もと)めらるゝ。其元(そこもと)38分散の下稽古(したげいこ)でもめさるゝか』と、例の悪口(わるぐち)いうて(わら)ひぬ」

 

【第十五話 現代語訳】

 「拙者は、家を建て直すことについて、御占いをお願いしたい。一昨年までは親たちの代で、その時と今も人数に変わりはないけれど、家具類もだんだん増えて、何かにつけて狭くもあり、使い勝手も悪く、建て直すつもりなのです」(と言った)

 翁は、「東北の方角がふさがっているのか。これは世間並みに避けた方がよい。それはともあれ、まず、『三年の喪が明けるまで、父が定めた家のあり方はそのままにしておくことを孝という』という言葉が『子曰く(論語)』に見える。これまで親がしてきたことの中で、よいことは言うまでもなく、もしも都合の悪いことがあったとしても、それを変更しないことを孝行という。とくに親の代からそれなりで済んだ家は、我慢すれば、我慢できないことはないだろう。たとえ五間三間広くなっても、欲はきりがないものであって、何部屋あっても、もう一部屋足りない(と思うようになるものだ)」と答えた。

 客は、

「この思い付きは、いま新しく考えついたことではありません。親たちは昔気質の増改築ぎらいだったので、言い出すことはしませんでしたが、(これは)四、五年前からの心づもり(でした)」と言った。

 翁は、(客の)顔を眺めて、

「それではそなたは、自分の代になったならば、ここをこうしよう、あそこをああしようと、心の底に算段があったのだな。それはもってのほかで、親が死ぬのを待ちかねていたという言い分で、その気ならば、親の手慣れた諸道具も売り散らして、自分の好きなものに取り替える気か。これはまた神仏の加護を全く信じない人間だ。それにしてもまた善い人はそうではないぞよ。私の友だちの何某は、先年病気になったとき、私が見舞いに訪れて、『あなたの病は軽いけれど、再三のことなので侮ることはできない。もしも年老いたお母上に先立ったならば(お母上が)お嘆きなさるだろう。不孝ではないのか。お母上を見送るまでは、大事な身ですぞ』と養生のことを繰り返し言ったとき、その病人に不快な様子が見えた。さては私が多言であることを嫌ったのかと、ことの成り行きが悪く帰ることにした。その後、数日して、『あなたはいつぞや、不愉快な様子を見せたが、どういう理由だったのですか』と尋ねたところ、その何某が『老母を(あの世に)見送るまでは、大事の身であるとおっしゃったことが気に障ったのです。(確かに)親に先立つのは不孝です。嘆きをかけるのは嫌ですが、親を見送ることは、いつまでもさらに嫌なことです。たとえ順序が逆さまであれ、親不孝なことでもあれ、老母を見送るよりは、我が身が見送られる方がましです。これ以後、このようなご挨拶は、是非ともご遠慮いただきたい』とやりこめられて、(恥ずかしさに)赤面したことがあった。そなたとはそなたとは天の雲と地の泥ほどの大きな違いである。そなたも善い人と交際して、人の人たる道を聞きなされ。それなりに暮らし、さし当たって不自由のない人は、学問をしないでも済んでいるように思っているが、自分の好きなことか嫌いなことか。(また)災難に遭うか困窮するか(など)、何か問題にぶつかったとき、学問の力がなければ、欲に迷ってよこしまな道に陥ってしまう。さてまた、そなたは道具好きと見え申す。家具調度を集めるのも、やり過ぎることはやり足りないことよりも劣るのである。掛け軸なども一幅だけであれば、盆でも正月でも祭でも、その一幅だけで不自由なことはない。三幅か五幅持つとすぐに不自由になり、ちょっとした法事の掛け軸が一幅欲しいの、庚申会の際の掛け軸がないの、恵比須講の時の掛け軸が足りないの、不自由だらけになる。花生けなども同じことだし、膳や椀、重箱のたぐいなどもその通りである。物の数が増えれば却って不足を感じるのである。これも修行して人の道を知れば、物があっても不足はなく、物がなくても不足は感じない。ところでこの間、ある人が小型の箪笥を手に入れたといって、私に見せて、『これはある大家が不用になって売り払った品物で、いま新しく作れば五十両も出すべきところだが、私は安値で買い求めたのである。ちょっとした身の回りの調度でさえ、このようにすべて申し分ない物ばかり。金具だけに十両も掛かったということだ。これほどに贅沢しなければ、大身代は潰されないだろう。破産なさったのも当然のことである』と語った。(そこで)私は、『そなたは人の失敗を知りつつも、またその道具を買い求めた。そなたも同じ道を歩もうとしている。破産の稽古でもしているのか』と、いつものように悪口を言って笑ったのだ」

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