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(ある人が)「拙者は、一人の息子に先立たれ、忘れようとするが忘れる時がない。どのようにして忘れればいいでしょうか。お考えをお示しいただきたい」(と尋ねたところ)、
翁は、「子どもを愛するが故に主君や父親をお忘れなさるな。父母のために妻子のことも忘れるというのは、孝子の常であり、主君のために父母のことを忘れるというのは、忠臣の常であるが、この太平の御代にはそうした人物は現れない。近い時代は四十七士の忠義であり、主君のために妻子や父母のことまでも忘れた忠義のよい見本である。遠い時代は戦国の書を見て学びなさい。それからまた、孝は、父母のために天下を捨てた聖帝の舜を初めとして、妻子を忘れ我が身を忘れた孝子たちの例は、日本でも中国でも珍しいことではない。(なお)ここに並べる話ではないが、わが郷里に何某といって、昔は当地で指折りの資産家がいた。だが、隆盛と衰退が交互に訪れるのはこの世の常であって、今はだんだん落ちぶれて小娘を一人使い、朝夕の炊事の煙も細々と上がる程度で細々と暮らしていた。(その者には)娘がいて、名は豊といった。(豊が)十二歳の時、母親が病気になって食事ができなくなった。豊は寝食も忘れ昼夜にわたって母の側を離れることがなかった。その介抱については大人が顔負けするほどしっかりしていた。(豊は)夜がふけるのも忘れて母の背中をなで足をさするのだった。ある夜のこと、母親が『私がものを食べられなくなるのは、時々起こる病気だ。二、三日たったら全快するだろう。夜もふけて眠いだろう。休みなさい。朝また早く起きて、蜜柑を一つ用意しなさい。蜜柑の酢が少しあれば、明日は食事も進むだろう。しかし、まだ蜜柑は色づいていないだろう。売買されていることはないだろう。どうすれば手に入れることができるだろうか』と気が重そうに言いながら寝入ってしまった。豊は後先のことについて配慮することもなく、心の内に覚えのある蜜柑畑で、十町余りも離れた所へ寒さや怖さもすっかり忘れて、ほんのりと夜が明ける頃にたどり着いた。(そして)蜜柑を三つ、四つ懐に入れたところ、小屋の中から番人が見とがめて、『まだ貢ぎ物として献上することも済まないのに、人の蜜柑に手を掛ける盗人よ。この土地の定めによって処することにしよう』と、豊が泣いても詫びても聞き入れず、情け容赦なく引き立てていった。蜜柑畑の持ち主の何とかいう人は、豊の礼儀作法にかなった身のこなしに品位があって、その言い訳が健気であると感じ、さまざまといたわり、自ら親元に送り届けた。(母親は)その蜜柑で食も進むようになり、日数が経たないうちに全快し、母子ともに現在も健在である。その後、私が『そなたが蜜柑を盗んだことは、親のための盗みは、盗みであっても孝行だと思って盗んだのか』と尋ねたところ、(すると)豊は涙ぐんで、『その時は、孝行ということも、盗みを犯すということも忘れて、ただ蜜柑がほしかっただけなのです』と答えた。これらも母親のために、その身を忘れた例と言っていいだろうか」と答えた。 |
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第十一話 「拙者、近比は唯もの忘れをいたし、@忘れじと指を縊れば、其の指ともに忘るゝなり。Aもし何ぞの祟にてはあるまじきや。御考へ給はるべし」
翁の曰く、「B蛙は蚯蚓を見て、蛇有る事を忘れ、蛇は蛙を見て、猪ある事を忘れ、猪は蛇を見て、猟人ある事を忘れ、猟人は猪を見て、山の嶮しきを忘る。是等は其の身を養はんとて、其の身を忘るゝものなり。己が職にもあらねば、身を養はんとにもあらで、日の暮るゝもわすれて流れに立ち、C罪も報いも、D寒も疝気も忘れ果て、魚を釣る人もあり。人の魚釣るをうつかり見て、丁稚はE使ひの口上を忘る。其の使ひの口上を忘れたる丁稚を、性根なしと呵る手代も、F在所の麦飯雑炊の事を忘れて、此の米は味ないの、古くさいの、けふも又Gひんとこなの鰭歟などとつぶやく。其のつぶやくを聞きて、嗚呼、何所の手代も同じ事。田舎の暮らしの貧しき事は忘れ果て、H青梅縞は肩がさすの、I小倉の帯は腰が重いの、J何の角のといざこざいふ。扠々物わすれする者どもかなと、笑止がる旦那どのも、K先祖の辛苦艱難の御蔭は忘れて、自身の嗜欲には、家の衰微するも忘れ、L妻子にまよひては、親兄弟の事をも忘る。M天恩国恩父母の恩はいふも更なり。人に恩を著たる事は、忘るまじき事なるに、Nエテは忘れて退けるものなり。O忘れても苦しからぬは、人に恩を著せたる事なり。其の忘れてもくるしからぬ、恩に著せたる事は、いつまでも忘れず、折節は言ひ出して、恩に著せる人もあり。心が見えて浅まし。又諺に、P色は思案の外なりといふ。是も忘れて苦しからぬ事なれ共、少々の不義過ちのある時も、色は思案の外なりと道理を付け、自身にも少しは赦す人もあり。是等はQ忘るべきを忘れずして、忘るまじきを忘るゝ人なり。宿替へに、女房を忘れたと聞きては、R手を打つて笑ひ、褌を忘れたるを忘れて、S尻からげしたるを見ては、21指ざしして笑ふ。其の笑ふ人の中にも、22一朝の怒りに其の身を忘るゝ人もあらん。必ず其の身を忘れ給ふな。23不忠不孝非義非道に陥るは、24皆我が身を忘れたる人にあらずや」
客の曰く、「翁、先には忘るべきを説き、爰には忘るべからざるを演ぶ。万事忘れて可ならんか」
曰く、「不可也」
「25忘るべきをわすれ、忘るべからざるを忘れずしてかならん歟」
いはく、「26未可なり。27天道は為ること無うして為ざる事なし。28堯は天下を忘れて天下をたもてり。29孝子は孝を忘れて孝に中り、30忠臣は忠を忘れて忠に合ふ。譬へば31能く書く者は、書く毎に心を入れざれども規矩を離れず。32よく謡ふものは、節毎に気を留めざれども拍子に合ふ。33魚は江湖に相忘れ、人は道に相忘る」
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(ある人が)「拙者は、近ごろ物忘れがひどく、忘れまいとして指にこよりを巻き付ければ、その指も一緒に忘れてしまう始末です。もしかして何かの罰や祟りではないでしょうか。お考えをお示しいただきたい」(と尋ねたところ)、 翁は、「蛙は蚯蚓を(捕らえようとして)見つめて、蛇がいることを忘れ、蛇は蛙を(捕らえようとして)見つめて、猪がいることを忘れ、猪は蛇を(捕らえようとして)見つめて、狩人がいることを忘れ、狩人は猪を(捕らえようとして)見つめて、山の険しいことを忘れてしまっている。これらはその身を養おうとして、わが身の(危険を)忘れてしまっている例である。(次の例は)自分の職分ではないので、わが身を養うというのでもなく、日が暮れるのも忘れて(川の)流れの中に立ち、殺生の罪もその報いも、寒さも疝気の痛みもすっかり忘れて、魚を釣る人もある。(その)魚を釣る人に見とれて心を引かれ、丁稚は使いの口上を忘れてしまう。その使いの口上を忘れた丁稚を性根なしと叱る手代も、実家で食べていた麦飯の雑炊のことを忘れて、この米は味がないの、古くさいの、今日もまた反り返ったうるめ鰯かなどと不平を言う。その(手代が)つぶやくのを聞いて、(旦那が)ああ、どこの手代も同じで、(連中は)田舎で暮らしていた貧しかった(頃の)ことはすっかり忘れて、青梅縞柄の着物は肩が凝るだの、小倉織りで作られた帯は腰が重くなるだの、あれやこれや文句を言う。さてさて、物忘れのひどい連中だな、とおかしがる旦那衆もいる。(その旦那衆も)先祖の辛さや苦しみあるいは悩みや苦労などのお陰で現在があることを忘れて、自分自身の好みのためには、家が衰微することも忘れて、妻や子どものことに心を奪われて、親や兄弟のことを忘れている。天子からのお恵み・将軍からのご恩・父母から受けたご恩などは言うまでもなく忘れてしまっている。人から恩を受けたことは、忘れてはならないことなのに、ややもすると忘れてしまうものである。忘れても差し支えないのは、人に恩を着せたことことである。その忘れても差し支えない恩に着せたことはいつまでも忘れないで、その時々に思い出して恩に着せる人もいる。(それは)下心が見えて浅ましい。また、諺に、『恋愛沙汰は他のことと違って常識では判断できないことが多い』などとあるが、色事なども忘れて構わないことであるが、少々の不義や過ちがあった時も、情事は分別を越えやすいものだ、などと理屈を付けて自分自身でも少しは許してしまう人もいる。」と答えた。
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