|
|||||||||
|
|||||||||
.
|
|||||||||
翁が夢から覚めてあたりを見回し、「今やって来た者は誰じゃ」と言うと、
客は、「私は才能もないのに代々品物の売買を職業として、荒れ果てた住まいに住んでいます。今わけがあって占いで新しい住まいを決めたいと思っています。売卜先生の占いが何とも言えないほど優れていることは、世間に広く知れわたっておりますので、私は千里の道を遠いとも思わずにやって来ました。乾・坤・兌・巽などの吉凶はいかがでしょうか。お考えをお示しいただきたいと思います」と言った。
翁は目をこすりながら客の顔を眺め、身なりを確認しながらため息をついて、「この私は学問もなく字も読めない老人で、難しい漢語はわけがわからない。世間一般に使われている易しくわかりやすい言葉でおっしゃって下され。卜居とは宿替えのことか。交易とは商売ということか。商人でよい着物を着た者は、分不相応な者だと昔の物知りがおっしゃった。そなたの着物の着方や言葉遣いは、商人らしいところが全くなくて、商人としての世渡りは心もとない。きっと家の暮らし向きが苦しくなり、八方ふさがりでどうしようもない引っ越しであろう」と言った。
客は赤面して、「お察しの通りです。四、五年前から暮らし向きが苦しくなり、その不如意の尻尾を見せまいと気を配り、世間に向かって見栄を張り、ないものをあるような顔をして、使用人までもたぶらかそうとしてきたが、予想以上の出費が多く、もはやごまかす手段が尽きて、このお盆の前の軽はずみな商いは破れ、破れかぶれになっての墓穴入り(をしたいほどです)」と答えた。
すると翁は、「後の祭りじゃ、手遅れじゃ。四、五年前にも貧乏神を追い出して、一家の者や友人たちに相談をして、家の格式を下げ人も減らし、絹物が着られなければ紬、紬の着物が着られなければ木綿というように、しかるべき方法で暮らしていたならば、夜逃げ同然の引っ越しなどしないで済むはずだったのに」と言った。
客は、「私とてもこれまでに、人が財産をなくすのを見ては、まったくもって油断からきた失敗だ。せめて四、五年以上前から将来も金に詰まらないようにと気付いていたなら、家屋敷を手放さないですんだろうにと、志賀の唐崎という地名のことではないが、他人の疵瑕(あやまち)から先(将来)が見えていても、わが身のことはかえりみず、琵琶湖の水にした(無駄にした)。もう少し前から商売の勢いを下げていたなら、よい物事の運び方もできただろうに。金が回らないようになって、今さらながら後悔しています」と答えた。
最後に翁は、「栄えたり衰えたりするのは世の常で珍しいことではないが、貧乏神を追い出さなかったから衰えるのが早いのだ。貧乏神を追い出すとは銭金のことばかりではない。全てにおいて貧乏神を追い出して、知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとして、見ていないことは見ていない、聞いていないことは聞いていないと言えば済んだことを負け惜しみの連中は、ないのにあると見せ知らないのに知った顔をして世間の人を欺いても、他人はまたそれ相応に値踏みし、かけ値があるかないかはすばやく察知して、深々とはめられて高く買ったりはしない。だから、何の益もないばかりでなく、一生自分の心を欺くことになり、心苦しいことではないか。たとえまた、だまし通して大福長者と見られ博識多能な人間と見られたとしても、一生で何百歳まで生きられるのだ。
夢を見る人も夢の中で見られる人もうたた寝の夢の中にいる。この浮世は夢まぼろしのようなはかないものではないのか」と言ったのだった。
|
|||||||||
. | |||||||||
第九話
「拙者、所用有りて旅立ちいたす。明日の@日のよしあし、御考へ給はるべし」
翁の曰く、「晴天ならば吉し、雨天ならば凶しし、A曇天半吉。もし急用ならば、雨天にても立つべし。舟は危ふきものものなれども、B日和のよしあしを見て、暦を見ず。此所にて考ふべし」
客の曰く、「拙者も仰せのごとくにてC心すめども、両親ともにDごまのごにて、Eかり初めの事にも案じられ、夫れ故御尋ね申すなり。殊に拙者は、F槌に生まれし子なりとて、親達は気遣ひして、Gさま/゛\の呪ひ事。槌に生まれし子は、かならず短命なりといふ。Hかかる事もある事にや」
翁の曰く、「我是までに槌に生まれしといふ人の、五十越えたを五、六人も見たり。七十ぢかき人にも逢ひぬ。又槌でない日に生まれし人の、短命なりしもあまた見来たる。I之に依つて翁は信ぜず。もし又槌に生まるゝ子、必ず短命なりといはゞ、短命なる子は、かならず槌に生まるゝならん。J然らば持ちて生まるゝ短命なり。もつて生まるゝ短命を、K呪ひ位で、長命は覚束ない/\」
客の曰く、「L我等もさは存ずれども、親たちが気遣はれ、M方々へ願を立て、N八日と十二日は薬師の日、O必ず蛸と虎とを食ふな、P戎の日は鯛はならぬ、Q毘沙門の日に百足を忘るな。R何の日はどこの朝詣、幾日は其所の御百度、S香水でも呪ひでも聞き付け次第、21ごまのごのあへまぜなれば、近所の衆も笑ひ、朋友の中には呵るもあれど、しからば呵れ、笑はゞわらへ。両親の仰せにまかせ明日の旅立ちも、22有様は願詣」
翁、23膝を直して曰く、「24父母在す則は其の志を見る、父母没する則は其の行ひを見る。25親ある人の行ひは、行ひばかり見て、評判はならぬ、26其の志を見て其の孝を知るといふ。其の元の志、翁大いに恥ぢ入り申す。扠旅へ持ちてよき守りあり。餞別に進上いたす。27孝といふ字を懐中めされ、此の一字をわすれざれば、28何国いか成る所へ行きても、怪我過ちはあるまじきぞ」
|
|||||||||
翁のもとに訪れた客が「私は所用があって旅立ちを致します。明日の日柄のよしあしについて、お考えをお知らせ下さい」と尋ねたところ、
翁は、「天気が晴れならば吉、雨ならば凶で、曇りの場合は半吉だ。もしも急用なら雨天でも出発すべきだ。船は危ないものであるが、天候のよしあしを見て、暦の吉凶を参考にしないのがよい。この点で考えなさい」と答えた。
客は、「私も翁のおっしゃる通りで心の迷いがなくすっきりしますが、両親ともに縁起を担ぐ人間で、ちょっとしたことにも心配なさるので、だからこそお尋ね申し上げるのです。とくに私は、槌にあたる時期に生まれた子であると言って、親たちは気をつかってさまざまな呪いごとをします、槌の時期に生まれた子は、必ず短命だというのです。こういうこともあるのでしょうか」と尋ねた。
翁は、「私はこれまでに槌の時期に生まれたという人で、五十歳を越えた人を五、六人も見てきた。七十歳近い人にも会った。また、槌でない日に生まれた人で短命な人もたくさん見てきた。このことからして、そういう話を私は信じないのだ。もし、槌に生まれる子が必ず短命であるというならば、短命な子は必ず槌に生まれるであろう。そうであるなら、それはもって生まれた短命である。もって生まれた短命をまじないぐらいで長命にすることなどできるはずがない」と答えた。
客は、「私もそのように存じておりますが、親たちが心配なさって方々の寺社に願を立て、八日と十二日は薬師の日だから絶対に鮹と虎を食べてはいけない。恵比寿の日に鯛を食べてはならないし、毘沙門の日にお賽銭を忘れてはならない。いつの日はどこどこの朝参り、また、いついつの日はある所でのお百度参り、聖なる香水でも呪いでも、効き目があるといううわさを聞き付けると、すぐに縁起担ぎの混ぜ合わせなので、近所の人たちも笑い、友だちの中には叱る人もあるが、叱るならば叱れ笑うならば笑えと思っています。両親の仰せに従って明日の旅立ちも、理由は神仏にお参りして願を掛けることです」と言った。
翁は居ずまいを正して、「両親が在世ならば、その目指すところを見なさい。両親が亡くなったならば、その行いを見なさい。親がいる人のあり方としては、親の言動を見てその是非を論じてはならないのだ。そなたの志に私は大いに恥じ入り申す。さて、旅へ持って行くのによいお守りがある。それを餞別として差し上げ申す。この孝という字を肌身離さず持ちなされ。この一字を忘れなければ、どの国のどんなところに行っても、怪我や失敗はないだろうよ」と言った。
|
|||||||||
一覧へ | 続きへ |