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(翁が)「薄暗い所でぶんぶん音を立てているのは、誰かと思ったら蚊のやつか。自由自在に空を飛び回る身となって、上は身分や地位が高い人の門の中にも入り、下は浮浪者や非人・乞食のかまぼこ小屋にも入り込み、竹林の中を飛び回っては、七賢(と呼ばれた人々)の楽しむさまを下目に見て、大群で上を下への大騒ぎをしては楽しんでいる。上を見ずに(何も恐れず)悠々と空を飛ぶ鷲と同じような種類(のよう)に見えるが、お前ももとは水の中に住んでいたやつの仲間で、水門の付近やどぶを大海だと思い、棒一本のような体さえ自由に動かせず、七回沈んでは八回浮かんでいた。(それなのに)ああ、出世するにもしたものだなあ」と言った。 (すると)蚊が声を細めて、「そんなに羨みなさるべきではありません。翁は世間の縁組みの実態を見ていないのですか。貧乏人の娘が大金持ちの家に嫁入りして、立派なものを着飾って、お供の女性をたくさん従えるのを見ては、あやかりたいほどだ、幸せ者だ、などと他人の目からは羨むけれども、外見のいいところだけを見て内情のつらさが見えていない。もともとが釣り合いの取れない縁組みなので、姑や小姑に気兼ねすることが多く、一家の人たちとの付き合いにも心を痛め、その外の出入りの者たちにまでたいへんな心配りをし、使用人にまで気を遣っているのです。山の芋のように見下されていた者が奥様と呼ばれるようになって、むやみやたらにふらふらと外出する、などと言った陰口を聞く時は、わが身が裂かれるようなつらい気持ちでしょう。養子の場合でも同じです。よいところに養子に入って何の不足もない身になって、結構なことだなあ、幸せ者だなあ、などと他人はそう思うけれども、(ほんとうは)不足があるのやら、不足がないものやら、苦しんでいるのやら、楽しんでいるのやら(傍目にはわからないものです)。水鳥が(池の中で)浮いている姿は、楽そうに見えるが、(水の下にある)脚を忙しく動かして世渡りしているのかも知れないなあ。私もどぶ水に住んでいた時は、金魚の口で食べられる不安があっただけで、他には何の(不安な)思いもなく、貧賤(ぼうふら時代の厳しい生活)にも楽しみはありました。今は(蚊となって空を飛び回るという)出世の身ですが、富貴(蚊になった身)にもやはり苦しみがあります。蚊遣り(の煙)にはいぶされ、払子を使っては追い散らされる(始末です)。ある時は、心の迷いのせいで命を失うこともあります。夜が更けると蚊帳にさえぎられて、思い通りにならないので羽音を立てながら一晩中飛び回り、昼もたまたま姿を現すと、(この)暴れ者よと嫌われます。しかし、(自分の)命のいとしさに、憎まれていては生きていく甲斐がないとはいうけれど、可愛がられて死ぬことよりはましか(と思っています)」と答えた。 (そこで)翁が言ったのは、「お前は心に欲望があるので、それが叶えられない苦しみが絶えないのだ。昔の言葉に、『貧乏でも心が清らかな人間はいつも楽しく心安らかであるが、悪事で富み栄えているような人間はいつも世間におびえている』とある。(なお)道歌でも『媚びへつらった末に豊かになった人よりも、誰にもへつらわずにいて、貧しい身のままでいることの方が安心だ』(と言っているではないか)」ということだった。 |
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第七話 翁、其の次は誰なるらんと、@天眼鏡を以て見、「Aうぢ/\するはB水虫ども歟。體小さければ、命もまた短からん。汝も生きたる甲斐のあるや」
水虫の曰く、「翁、C伏見街道を通りて見ずや。牛もあり、狐もあり、亀もあり、蛙も有り、D西行もあり、Eおやまもあり。其の外人物は、F貴賤老少、僧俗男女、禽獣虫魚に至るまで、さまざまのG土ざいく。形に大小あり、彩りに美悪あり、美悪大小異なれども、H其の本は一つなり。命尽きて砕けて仕舞はば、Iまた本の一に帰る。我が形J微なりといへども、万物のひとつなり。K翁の未生已前と、我が水虫の未生已前と、二つ歟一つ歟。我が命短く、翁の命長しといふとも、L宇宙の窮まりなきより見れば、M毫髪を入るべけんや」
翁、N目をむいて曰く、「Oちよこざいな水虫ども、P誰に聞いてべり/\しやべる。Qいふものは知らず、知るものは言はず。嗚呼、R然りながら殊勝な事じや。Sかならず修行怠らざれ」
水虫、再拝して曰く、「21希はくは教へを受けん」
翁、微笑して曰く、「22おしむらくは、23汝いまだ生死をはなれず。24生死なくんば、未生もあらじ」
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翁が、その次は誰だろうかと、天眼鏡で見ながら、「(そこで)ぐずぐずしているのは水虫どもか。体が小さいので、命もまた短いだろう。(そんな)お前たちでも生きている甲斐があるのか」(と言った)。
水虫が(それに答えて)、「翁は、伏見街道を通ってみたことがないのですか。牛も狐もあるし、亀も蛙もあるし、西行もあり歌舞伎の女形もあります。その外、人物としては、身分の高貴な者も卑しい者も、出家した者もしていない者も、男も女も、鳥や獣または虫や魚に至るまでの土人形があります。形には大小があり、彩りには美しいもの悪いものがあります。(それぞれ)美悪・大小は異なりますが、そのもとのものは一つで、それは土なのです。(土人形の)寿命が尽きて砕けてしまえば、再びもとの土に帰ります。私は体が非常に小さい生き物ですが、(世にある)万物の一つです。翁が(この世に)生まれる前と、この私、水虫が生まれる前とは、別のことなのでしょうか、それとも同じことなのでしょうか。私の命が短く、翁の命が長いと言いましても、宇宙がいつまでも果てしなく続く時間からすれば、極めてわずかな差でしかないでしょう」と言った。
翁は、目をむいて怒って、「生意気な水虫どもめ。誰から聞いてべらべらしゃべるのだ。ものを言い過ぎる奴は本当の物知りではない。本当にものを知っている者は、べらべらしゃべらないものだ。ああ、しかしながら感心なことじゃ。決して修行を怠ってはならぬぞ」と言った。
水虫が再拝して、「切に望むのは教えを受けたいということです」と言うと、
翁が微笑を浮かべて、「惜しいことには、お前はまだ生死流転の世界から離れず、煩悩の世界に囚われて悟りを開いていない。生まれては死に死んでは生まれる苦しみや迷いの世界がないならば、自我のない絶対無差別の境地もないだろう」と答えた。
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