賣卜先生糠俵(原文、読み下し文、現代語訳)
第七話〜第九話
(2009年2月27日寄稿の第四話〜第六話に続いて、第七話〜第九話を寄稿します) |
飯塚修三
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原文と読み下し文
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(第六話 文末略)
其次は誰じゃ (第七話)
此わんぱくでござります。歳は十歟九ツ歟。づつと
寄て手を出した。はて珍しい手の筋。精出して
手習ひすればぐっと手の上る筋。惜い事は手習が
嫌ひさふな習はねば一生無筆で。人に笑るゝ筋も
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ある。扨此六月七月には水に溺るゝといふ小筋が有。川へ
ゆく事ならぬぞ。どれ右の手を出した。此月は劍難の筋が
見ゆる指を切るか。手を突か。小刀細工のならぬ月じゃ
扨又爰に迷ひ子になるといふ恐しい筋がある。
むかひ隣へゆくにも。親だちに問ひ。行とあれば
行。ゆくなと有れは行かれぬ斷なしに行が
最期。人買に連て去るゝ。畏手筋。これお袋灸の
事も云ふ歟。次手に御頼もうします。どれ脉を
見て遣ふ。此月は煩ふも知れぬ月じゃ。身柱とすぢ
かひすゑねばならぬぞ。又來月つれてござれ
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其次は誰じゃ (第八話)
是は元より下京に住居する。好風と申按摩に
て候。我母の親を持。心一杯孝行を盡せ共。ある夜
不思議の夢も見ず。今に釜も掘出さねば。昔しに
變らぬ貧き暮し。天道未だ御存知なきか。但しは
誰ぞと間違は致さぬ歟。御考給はるべし。翁笑を
忍で曰それ孝は子たる者の可盡役にて盡なり。
其可盡役にて盡す孝行。何の不思議有てか福を
期。扨又不孝なる者は雷にも打たれ。蛇にも呑れん。
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是可盡役の孝行を不盡天罰なり。又可盡役の
孝行を盡し福の來るを期は。價を取て駕をかき。
其乗せたるを恩に着せ。益を貪る駕をかき同前。實
の孝子は不然。孝行を孝行と思はずして孝行を
盡す。是心に盡し足ざれば也。汝は自孝行を
孝行と思へり。孝行を孝行と思ひて盡す孝行は。孝行に
かぎりあり。きのふは何程の孝行を盡し。けふは是ゝの
孝を盡しぬ。明日も何がな能孝行が盡したいと
孝行を拵えて盡す。是は唯親を悦こばしめんと
諂らへる孝行也。是を佐平治孝行とて。世間に
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まゝ有孝行なり。むかし人の曰碁は勝んと打べからず
負まじと打べし。親には氣に合とすべからず
背かじとすべしとなり。背かじとする孝行は
影日向なし。合ふとする孝行は拵物にて。先に
所謂佐平治孝行也。斯いへばとて。汝を不孝と
譏るに非ず。孝行は眞似でもすべし。或國の
太守狩に出給しとき。老母を負ひて過るもの
あり。太守見給ひ其故を問給ふ。郷人の曰彼れは
平生孝行にはなき者也。太守孝子には御褒美を
給ふと聞。老母を負て孝行を似せ御褒美を
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貪るえせ者也と答ふ。人を易て問給ふに。答また
前の如し。太守に曰世上には惡き眞似する者
多し。彼は善き眞似をする者也とて。御褒美
數多給りぬ。太守の仁徳に感じかのゑせ者實の
孝子になりとしかとや
次は誰じゃ (第九話)
私は失物に付て御占が頼たし。一両日以前金子五両
硯筥の引出しへ入れ。折節客來に取まぎれ忘れ
置しが。今朝ふと思ひ出し引出を見るに其金なし
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もし覚違ひもやと思案の底を叩き。紙屑籠まで
さがせども更に不見。彼是思ひ廻らすに疑しき
事ありて潜に心を付て見るに其人の顔色
ものゝ云さま立振舞に至るまで慥に此人の
仕業とは見えながら。是といふ證據もなし。云ひ
出して惡しからんや善からんや御考給るべし翁の
曰過て人を疑ば。人と我と共に亡ぶ。危うし く
昔し斧を失ふ人あり。其隣の子を疑ひ其顔色。
聲音。起居。動作を見るに。ひとつとして盗に
あらざるはなし。日を經て外より彼斧を持來り。
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永々借用辱と返辧す。斧主初て疑リれ其のち
隣の子を見るに顔色。聲音。起居。動作。微塵も盗
臭き處なし。是等は是斧に心に失ひし者なり。
汝も其失ひし金を尋んより。先その失ひし本を
尋見るべし。唐土に二人羊を牧者あり。其一人は
書に見入て羊を失ひ。又一人は博奕して羊を失ふ
其所作は異なれとも。羊を失ふに至ては一つなり。其
羊を失ふは。まづ本心を失へばなり。書物も書物の
見やうによって。其本心を見失ふ。况や博奕。名聞
利欲。色欲においてをや。可恐々々
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現代語訳第七話〜第九話、挿絵は父・重三
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(前頁1行分)
その次は、誰じゃ。(第七話)
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(言うことを素直に聞かぬ子に悩む母親が、子供を連れて先生を訪ねる)
「はい、この腕白が治るんでございましょうか」
「どうじゃ、手を出してみなさい。九つか十歳かな。何だ、この手、珍しい手筋をしているわい。手習いすりゃ、ぐっと手の上がる筋じゃ。惜しいことに手習いが嫌いじゃろう。ならわなきゃ、一生長い間、人に笑われるという筋もあるわい。さて、よく見りゃこの六月か、七月には、水に溺れるという筋も出ているぞ。川へなんか、行くんじゃないぞ。どれ、右の手を出しな。うん、こりゃ危ないことがありそうじゃ。指を切るか、手を突くか、小刀なんか持たれんぞ。小刀細工し |
たり、遊んだりしちゃいかんわい。何だ、この筋は、怖いことが出ておる。迷子になるちゅう筋じゃ。隣へ行くにも、親たちにきてから行け。親が『行くな』と言ったら行ってはいかんぞ。勝手に行くと人買いにさらわれるぞ。
どうじゃ、よくわかったか。また来月連れて来なさい」
その次は、誰じゃ。(第八話)
(孝行を尽くしているつもりの按摩が報いられず、悩みつつ先生を訪ねる)
「はい、下京に住んでおります好風という按摩でございます。年老いた母親がおりますので心いっぱいの孝行をしております。それにもかかわらず、不思議の夢も見ず、今に釜も掘り出すようなこともなく、昔に変わらぬ貧乏暮らしをしております。天道も、ご存知ないものか、あるいは誰かと間違いをいたしておらないか、お考えを聞かせてください」
先生、笑いを堪えて。
「孝行というものは、子たる者の尽くすべき道として尽くすのじゃ。その尽くすべき道で尽くすのが孝行の道。どうして福のことを考えるのじゃ。不孝な者は、雷にも打たれ、蛇にも呑まれよう。これは、孝行を尽くさぬ天罰じゃ。ところが、尽くすべき道の孝行を尽くして、福の来るのを待つというのはいけないぞ。駕籠かきのようじゃな。駕籠を担いでお金を..
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貰う。その駕篭かきが、乗せたのを恩に着せ、益を貪るも同然というものじゃ。本当の孝行というものは、孝行を孝行と思わずして孝行を尽くしている。心にまだまだ尽くし足りないことを反省して、さらに孝行を尽くすというものじゃ。ところで、お前さんの孝行は、孝行を孝行と思いつつ孝行しておる。そういう孝行というものは、何程の孝行をした。今日はこれこれの孝行をした、明日も何か孝行をしたいと、孝行をこしらえて、やっておる。これはへつらいな考行というものじゃ。
昔の人は、こんなことを言うておる。『碁は勝とうと思って打ったらいかん、負けまいと思うて打て』とな。親には、
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気に入られようと思うてやったらいかん。背いたらいけないと思うまでじゃ。背くまいとする孝行は陰日向がない。気に入られようとする孝行は、こしらえたものにすぎん。いいかな。
こういえば、お前さんのことをまるで不孝じゃと謗っているわけじゃない。孝行は真似でもよい、尽くすのが人の道じゃ。
こんな話もある、聞くがよい。
ある国の太守が狩りに出た。その時、老婆を負うて行く者に出会った。太守は早速、その者の平素の模様を里人に尋ねた。里人は『あの男は不孝者です。孝子にはご褒美がいた頂けるので、あのように老婆をいたわるふりをしているのです。あの男は似非孝行者です』という。人をかえて聞いても、同じような答えだったそうじゃ。
しかし、太守は『世間には、悪い真似をする者が多い。ところが、あの男は善い真似をする者じゃ』と言って、あれこれご褒美まで出されたそうじゃ。
似非孝行者も恐縮し、その仁徳に感じ、後には本当の孝行者になったそうじゃ」
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その次は、誰じゃ(第九話)
(お金を失った人が、くよくしながら、どうしようかと先生を訪ねる)
「はい、お金がなくなって,困っております。誰が盗ったのか、教えていただきたいと思って伺いました。
実は一両日前、金子五両ばかり、硯箱の引出しへ入れて置きましたが、あれこれ客もあり、用に取りまぎれ忘れておりました。今朝、ひょっと思い出し、引出しを見ましたところその金がございません。覚え違いじゃないかと、紙屑かご
まで探しましたが出てきません。思い巡らすうちに、ある人がどうも怪しくて、密かにその人の顔色や動作を見ておりますと、どうやらその人の仕業に違いないような気がしてなりません。しかし、これという証拠もありませんので困っております。言い出して良いものやら、悪いものやら、と迷うております」
「誤って人を疑えば、人と自分と共に亡ぶという戒めがある。昔の話に、斧を失うた人がいたそうな。その隣の子を疑い、よく見れば見るほど、その顔色や声音、起居、動作まで空々しい。この子が盗ったに違いないと思える。ところが証
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拠もなし。いずれそのうちに何とか、と思って暮らしていたそうな。ある日のこと、外からその斧を返しにやって来た人がいたのじゃ。『ありがとう、どうも永い間、借用いたしました。随分助かりました』とな。
そこで隣の子の疑いも晴れ、じっと見れば何のことはない。顔色、声音、起居、動作まで微塵も盗人くさいところがない、というのじゃ。これも、斧に心を失っていたのじゃな。お前さんも、金をたずねるより、まず先にその失った本を考え直すことが肝心というもの。
こんな話もある。
昔、唐の国に羊を飼うひとが二人あった。一人の男は、本 |
を読んでいて、すっかり見入って羊を失ってしまった。また、もう一人の男は、博打に熱中してしまっている間に羊を失ってしまった。羊を失う所作は異なっているが、羊を失ったということには変わりがない。どちらも羊に力が入っていないからじゃ。羊のことはどうなろうとかまわんという心が、羊を失っていることになる。もっと羊そのものに性根がはいっていないからじゃ。分かったかな。お前さんもこれから、もっともっとお金を失ってからくよくしないで、お金そのものに性根をい入れることじゃ。性根の入れ方が足らんわい」
その次は、誰じゃ。(第十話)
「はい、鳥目一銭で、百病に効く薬があると聞きましたが、本当でしょうか」
「平素から、保養のためにお灸をするのじゃ。古書にいうじゃないか。『聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱。病已成而後薬之、乱已成而後、治之。譬猶渇而穿井、闘而いる兵』と。病めるのを治すのはちょうど、衣服の垢を洗うようじゃ。ひと洗いする毎に、強くなるか弱くなるか。
第一 孝によし
能書 臣には 忠によし
一々挙ぐるに いとまなし
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