賣卜先生糠俵(原文、読み下し文、現代語訳)
第十話〜第十二話
(2009年8月7日寄稿の第七話〜第九話に続いて、第十話〜第十二話を寄稿します) |
飯塚修三
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今回から、翻刻文と現代語訳、及び、現代語訳に付いている挿絵のみの掲載になります。原文及び原著挿絵の写真版はファイル容量の関係で省略させて頂きます。申し訳ありません−編集者。
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其次は誰じゃ (第十話)
鳥目一銭にて百病の藥ありと聞。御考如何。翁の
曰。不斷保養に灸すべし。古書曰。聖人不治已病。
治未病。不治已亂。治未亂。病已成而後藥之。亂已成而
後治之。譬猶渇而穿井。鬪而鑄兵。卜已に病るを療るは。衣の垢を濯ふが如し。一濯くにて。
強く成か。弱く成か
第一孝によし
能書 臣には忠によし
一々擧るいとまなし
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又問。ひとつの夜具に。十人寝て。寒からざる考あり
と聞如何。答曰。何程結構なる純子。繻珍の夜具
なりとも。二人は知らず三人は寝られまじ。是を毛綿
の夜具にせば。十人も十五人も寝らるべし。寒夜に
御衣を脱玉ひし天子もあり。恐れながら。一人毛綿
を堪忍すれば十人寒苦を凌ぐべし
其次は誰じゃ (第十一話)
私昨夜提物を落す落候處御考下さるべし。翁曰昔しより裸で物は落さぬといふ。常々裸の事を思へ
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これ物を落さゞる咒なり。往古より。産衣着て生れ
たといふ人を聞かず。褌かいて誕生した沙汰も
なし。皆丸裸で生まれたる人なり。其丸裸で生まれ
たる人の中に。丸裸で居る人はひとりもなし。此所
會得せば。何をか落とし。何をか失ふとせん。其丸
裸で産れ。其丸裸で死る此身金銀財寶一物も
我もの有んや。是皆世界の寶なる事明かなり。是を
我物なりと思ふ人は。己が榮耀榮花には金銀を惜し
まず。人の事には吝きものなり。淺ましからずや。
昔楚の國の王。狩に出で弓を亡へり。其近習求んと
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請ふ王の曰止よ。楚人弓を失ひ楚人弓を得ん。又
何ぞ是を求ん。孔子聞曰惜乎。其不太也。不曰人遣
弓人得之而已。何必楚也。楚の字だけつけじゃと
此方の親玉はの給ひし也。今世間の奢る人。吝き人は
金銀の手廻るを我物じゃと。いつの頃よりか思ひ込
し間違ひ也。金銀財寶は扨置。先寐たり起たり
する此身。我物か我物で無いか。御工夫
其次は誰じゃ (第十二話)
匂ひなどは假の物ながらえならぬ匂ひには心ときめく
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是は如何なる事やらん御考給はるべし翁曰。匂ひばかり假のものにて。紅白粉はかりの物にあらずや。紅白粉は
かりの物にて。髪の飾り。衣紋は假の物ならずや。紅白粉
も粧す匂ひもとめぬ丸裸は假の物にあらざるや。
或は琴の爪音の氣たかきを聞。和歌の優しく。
手跡などの拙なからぬを見ては猪口鼻そげも知ら
でまづ心ときめきぬ。たとへ目鼻口もとのしほら
しく。姿聲音の可愛らしきも。皆地水火風の
寄席細工。唯今生て働きます。忽ち五輪と變り
ますれば惣やうさまへのおいとま乞ひ。天からく
くく
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其ときめくものはいかなる物にて何國にあるぞ
其次は誰じゃ (第十三話)
此腰物御考給はるべし。我等には少し奢なれども
珍敷道具。性に合はゞ求たし。翁目の鞘をはずして
曰。自心に奢と思ふ道具は則性に不合也。奢は細微を
慎むべし。是程の事は儘よ。彼れぐらゐの事はなどゝ
自放べからず。盞に一杯ほどの奢が。末に至りては
大船を浮ぶ。或人能き鍔を一枚掘出し。刀屋を呼
此鍔我等如きには侈りなれども此儘置も費也。
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現代語訳第十話〜第十二話、挿絵は父・重三
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その次は、誰じゃ。(第十話)
「はい、鳥目一銭で、百病に効く薬があると聞きましたが、本当でしょうか」
「平素から、保養のためにお灸をするのじゃ。古書にいうじゃないか。『聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱。病已成而後薬之、乱已成而後、治之。譬猶渇而穿井、闘而いる兵』と。病めるのを治すのはちょうど、衣服の垢を洗うようじゃ。ひと洗いする毎に、強くなるか弱くなるか。
第一 孝によし
能書 臣には 忠によし
一々挙ぐるに いとまなし
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と、いうところじゃ。
決して、体に無理をするまいぞ。病んで良薬を探すより、予防が肝心というところじゃ」
「ひとつの夜具に十人寝ても寒くないという人もいますが、本当でしょうか」
「どんなに結構な緞子の布団、繍珍の夜具であっても二人はいいとしても、とても三人は寝られまい。無理な話じゃ。これも、木綿の夜具にしたら、どうじゃな。十人でも十五人でも寝られるというもの。寒夜に御衣を脱がれた天使もある。木綿を、堪忍すりゃ、十人でも寒苦をしのぐとはこのことじゃ」 |
その次は、誰じゃ。(第十一話)
(落し物をして青くなり、何とか見つからないものかと、先生を訪ねる)
「はい、私は昨夜、大事な物を落としてしまいました。その落とした所を知りとうて、お尋ねに上がりました」
「何じゃと、昔から裸で、物は落とさぬというじゃないか。平素から、裸のことを思えばいいのじゃ。これが物を落とさぬというまじないじゃ。昔から、産着きて生まれた人を聞いたことがない。褌をつけて誕生したという沙汰もない。みんな人は裸で生まれる。そうじゃろう。ところが、丸裸で生まれた人が、丸裸そのままでおる人は、一人もないのじゃ。我々は、丸裸で生まれ、丸裸で死ぬのじゃ。金、銀、宝というもの、どれ一つとして自分の分がある。これからも、みな世界の宝というものじゃ。これをわがものと思うような人は、おのれの栄耀栄華には、金銀を惜しまず、人のことにはケチくさくなるものじゃ。浅ましいこっちゃ。
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昔,楚の国の王様が、狩りに出て弓を失ったという。その近習の者が『弓を探してきましょうか』と伺った。ところが、王様は首を横に振って『楚の人が弓を失って、その弓を拾うのも楚の人じゃ。そのままでいいぞ』と言って笑われたそうじゃ。今、世間の奢る人たちや、けちん坊の人たちは、金銀の手廻るのを、『我が物じゃ』と、いつのころからか思い込むようになった。金、銀、宝はさておき、まず寝たり起 |
きたりするこの身。我がものと思うことが、我がものでもないわけを考えてもみることじゃ。落とし物でくよくよするな。気が小さすぎるぞ」
その次は、誰じゃ。(第十二話)
(いったい仮の物について、どう考えたらよいかと先生を訪ねる)
「はい、匂いなどは、仮の物ながら、元ならぬ匂いには心ときめく。これは、一体どういうことか、教えてください」
「うん、匂いばかりが仮のもので、紅白粉は仮のものでないというか。いや、この紅白粉だって仮のものじゃないか。髪の飾り、衣服だって仮のものじゃないか。紅白粉もつけず、匂いも求めぬ丸裸はどうか。これも仮の物じゃないか。
琴の爪音の気高さを耳にしたり、和歌の優しい筆の跡を見ると、心が時めくものじゃ。しかし、目鼻だち美しく、口元のしおらしく、姿よく声音の可愛いらしいのも、みな地水火風の寄せ木細工みたいなもの。生きている時には働くが、しかし、この寄せ木細工も、すなわち五輪と変わる。五輪に変わればときめくものは少ない。天はカラカラとときめいているのみじゃ」
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