賣卜先生糠俵(原文、読み下し文、現代語訳)
第四話〜第六話
(2008年8月8日寄稿の第一話〜第三話に続いて、第四話〜第六話を寄稿します) |
飯塚修三
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原文と読み下し文
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(その三文末略)
其次ぎは誰じゃ (第四話)
此間打續夢見凶し御占給はるべし。翁の曰夢見
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惡くば一入愼み善事を行へ。善事を行へばこれ
即吉夢也。稼に追付貧乏なく。慎みに克禍ひ
なしたと善き夢を見ても其夢を鼻に掛け
放に行はゞ禍忽ち来るべし
又問翁の教にては凶夢も吉と變り惡女も
美女に成るとの噂。かヽる不思議もあるかや如何
翁答て曰美目好き者其美目好を自美目好と
すれば其美目好を失ふ。?者其?を自ら?と
すれば其?を消す。顔容の美惡而巳にあらず
諸道皆如此。少しにても矜誇心あらば味噌汁の
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味噌臭く。醤油の汁の醤油くさきの譏りをうけん。
京羽二重は肌目も細く色も白く媚よしなれど是
も百目の絹を百二十目と高ぶれば能はよいが直の高
いが疵なりと手を指す人稀ならん。河内羽二重は
色も黒く肌目も麁て不器量なれど拾匁の木綿を
九匁也と低出れば直に惚る人数多あらん。客のいはく
是は左もあるべし。百目の物を百目拾匁との物を拾匁と
云はゞ如何是にも亦云ひぶん有や。翁曰此處
出入なし。去ながら今云ふ拾匁百目と見せる代物は
皆手くだ有て油断ならず。色の黒いは白粉にて
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ちやかし。生え下りの無いは菰で黒め歯の缺たるは
?石を埋め髪の薄きは染川を雇ふ。櫛笄は猶
更衣類また凄じ。三〆目位の身上に内儀の出立を
見れば千両も取女形の舞臺衣裳。又呉服屋
仲間の黒人直打にもアノ衣裳の結構供まはりの
立派安う踏んでも先づ千〆目からの身上と評判
する娘子の道行。楽屋を覗ば間口五間には足らぬげな
其次は誰じゃ (第五話)
拙者は相應に暮せども是ぞといふ楽しみなし
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何を楽しみにいたし楽んや御考給るべし。翁曰楽は
苦の本苦は楽の本とかや。楽みたいとおもふ苦も
なく苦をせまじと思ふ苦なくんば何れの世界に
苦のあらん。財寳田地なければほしき苦があり。有れば
又失はじとの苦をする也。貯たいと思ふ苦なければ。
耗さじと思ふ苦もなし。家屋舗身の廻り。いやが
うへにほしき苦あり。あれば有ほど苦は多し。親に
かゝりの息子どの。主持の若衆など。一夜二夜の
楽しみが際々の苦と成。苦に苦を重れば一生の
苦となり自身の苦のみにあらず親兄弟の苦に成る。
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主親を持し身は一入慎。楽みたい苦を止よかし。
百病は苦より生ず。楽みたい苦を止て天命を
楽むべす。又問私本より病身にはあらざれども
唯力弱くて口惜し強くなる御考は有まじきや。
翁曰力の強きを強として其強に誇る者は
人に勝事を快とす。此故に我より強者ありて
争ときは吾必危からん。力柔を柔として其
柔を安んずる者は人に勝事を快とせず。此故に
我より柔者ありて不争不争危事なし。
されば昔より其力を恃で其身を亡せし人
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和漢其數を知らず。能騎者は落。能游者は溺るゝ也
河を馮し。虎を摶にするなどは。是匹夫の勇力也。
實の勇は不然。無理非道をもよけて通し堪忍の
ならぬ處を堪忍し。己に克己にかつ。おのれに
克にあらずんば勇力といふべからず。日夜朝暮
地とりして己に克己にかてば天下に敵なし是を
不勝の勝といふ。唯強き奴は人欲也。此人欲と地どり
するに中々十番に五番は勝てぬ閉口々々
次は誰じゃ (第六話)
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私十二歳より去方へ奉公に參り今年二十五歳
少々銀子を遣ひ過し。其銀を黒めんと。さまく
もがき。彼是の損重り。親方の銀を餘程あけ
只今にては術槻盡き。欠落と胸を居ゑ候。追人の
掛らぬ方角御考下さるべし。翁頭を振ていはく
危し梟塒くを替るといふ卦じゃ。昔し此梟
東をさして飛びゆく。鳩問て曰何國へか飛さり
給ふ。梟の曰此里の人々我聲の悪を嫌ふ。故に
飛去也。鳩ぐうく笑て曰飛行先の人々もまた
汝が聲の悪を嫌ふべし。汝が聲のあしきを直さば
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何ぞ飛さる事のあらん。其元も此通り。唐天竺へ
飛去ても。心の惡を直さでは。行衛定ぬ雲介。ちょ
ぽくれちょんがれにて一生をくち果ん。主親に勘當
受ては天下の御帳面にもれ。人の内にては無きぞ。
今又本心に立歸り過を改めば。欠落するには及ぶ
まじ。今本心に歸りても。金は皆遣ひ果す。迹偏也
と言んが。爰が彼の本心過則勿憚改。是迄の過は是非なし。有べかゝりに底を叩き。幾重にも詫を願へ。
許容あらば其恩を胸に懐。ちょぼくれの事を不忘
心力を盡し。私心なく奉公せよ。扨銀子の代には
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給銀も着仕も辭し。冥慮に叶ひて宿這入せば
残銀を償ふべし。若また宥免なくして。如何
様の咎に逢ふても本心さへ本心ならば身の過を
悔るばかり。何をかうら見ん
其次は誰じゃ (第七話)
此わんぱくでござります。歳は十歟九ツ歟。づつと
寄て手を出した。はて珍しい手の筋。精出して
手習ひすればぐっと手の上る筋。惜い事は手習が
嫌ひさふな習はねば一生無筆で。人に笑るゝ筋も
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ある。扨此六月七月には水に溺るゝといふ小筋が有。川へ
ゆく事ならぬぞ。どれ右の手を出した。此月は劍難の筋が
見ゆる指を切るか。手を突か。小刀細工のならぬ月じゃ
扨又爰に迷ひ子になるといふ恐しい筋がある。
むかひ隣へゆくにも。親だちに問ひ。行とあれば
行。ゆくなと有れは行かれぬ斷なしに行が
最期。人買に連て去るゝ。畏手筋。これお袋灸の
事も云ふ歟。次手に御頼もうします。どれ脉を
見て遣ふ。此月は煩ふも知れぬ月じゃ。身柱とすぢ
かひすゑねばならぬぞ。又來月つれてござれ
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現代語訳第四話〜第六話、挿絵は父・重三
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(前頁1行分)
その次は、誰じゃ。(第四話)
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(悪い夢ばかり続けて見るので、気分もすぐれぬ人が、先生を訪ねる)
「はい、この間から、毎晩のように怖い夢やら、困った夢ばかり見て弱っております。どうしたら、いいんでしょうな」
「よしよし、夢のことじゃな。人間はみな、夢を見るもんじゃ。そう、気に病むもんじゃない。悪い夢をみるときは、身を慎んでな、善いことを行なうのじゃ。善いことを行なえば、きっとよい夢を見るもんじゃ。昔の人が言うじゃろう。それ『稼ぐに追いつく貧乏なし』と。その通りじゃ、慎みに克つ禍もないものじゃ。そうだろう。よい夢をみても、そのよい夢を鼻にかけ、ほしいままに行なえば、禍も忽ちやってくる。きっとやってくるぞ」
「先生のお話をきくと、凶夢も吉に変わったり、醜女も美女になるという噂がとんでおりますが、そんな不思議ぎなことがありますか」
「さればじゃ、醜い者がその醜さを自分から醜いものと思って動作をすれば、その醜さを消してゆくのじゃ。顔とか、器量とかでなく、諸道というものは、みんな通じるところがあるもの。どうじゃ、少しでも誇り、自慢らしくする心があれば、味噌汁も『味噌くさい』というか、醤油も『醤油くさい』といわれるものじゃ。
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ここに、京羽二重がある。その品は肌目も細うて色も白い。見目よし、というもの。
そこで一両の絹を、一両二匁という値札をつける、というとどうなるのじゃ。品は良いとことは良いが、値が高いので買い手が思案してしまうだろう。ところで、ここに河内羽二重がある。これは少し色も黒うて肌目も荒いし、不器用じゃ。しかし、六匁の品を五匁じゃといえば、どうなる。その値に惚れて、求める人も多くなるじゃろ。
さて、それは品物の話。うぬぼれてはいかん。品には、その品相応の値段があるというものじゃ。話はかわって、ここ |
に芝居の役者がいるとする。この役者の顔は黒い。白粉というものがある。この白粉で白くなるのじゃ。歯の欠けたところへ、蝋石をつめ、髪の薄いのも鬘で隠すのじゃ。櫛、こうがいもキラキラと立派な物。それに、まとう舞台衣装は、素晴らしく結構づくめ、お供の者たちもそれぞれ高価なものばかり。目を見張る観客は、もううっとり。さて、こんな役者も楽屋を覗けば、どうじゃな。狭い楽屋、それも雑然とした楽屋。舞台から引き上げて、衣装をはずし、白粉を落とせば、元の黒い顔じゃ。醜女も美女になるじゃろ。分かったかな。あはははは」
その次は、誰じゃ。(第五話)
(何かの楽しみが欲しい、力の強い人になりたいと願う人が先生を訪ねる)
「はい、平々凡々と暮らしておる者でございますが、これぞという楽しみもありません。何かいい楽しみでもあればと存じまして」
「結構な身分じゃ。さて『楽は苦の種、苦は楽の種』とか。楽しみたいというのも苦の中、苦の無い世界はないものじゃ。およそ、世の中に財宝、田地が無けりゃ、欲しいと思う苦はないものじゃ。
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あればまた、失いたくないという苦があるものじゃ。また、あればあるほど苦も多いと思うが、どうじゃの。
親の脛かじりの息子や、雇われの若衆なんかが一夜二夜で存分の楽しみが、後にまで祟って苦が重なり、とうく一生の苦になるともあるのじゃ。自分自身の苦ですまされず、親や兄弟の苦になることもあるというもの。それにただ悪いことに、百病、万病も苦から出てくるものじゃ。
お前さんも、楽しみたいという苦をやめて天命を楽しむがいい」
「私は生まれつき病弱ではございませんが、ただ、力が弱いのが悔しゅうて。先生、強うなるには、どうしたらよろしいでしょうか」
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「さて、強うなってどうするのじゃ。世の中には、力の強いことを願う者が多いし、力の強いことを誇る者もいる。誇るものは人に勝つことを痛快としておる。どうじゃな。自分より強い者がおると争うことになり、危ないこともあるというもの。力の弱いものは弱いものとして、安んじておる間は、決して人に勝つことなんか考えたりはしない。それに自分よりまだ弱いものがあっても、争わないもんじゃ。だから危ない目にあうこともあるまい。そういう訳で、昔から強いというので、その力を頼んでその身を滅ぼした人は和漢においても随分多いもんじゃ。
『よく騎る者はよく落ちる』の例えがある。よく泳ぐ者が却ってよく溺れる。どうじゃな。河をかち渡り、虎を手打ちにするなどというなど匹夫の勇なんて笑止の至りじゃ。真の勇とは、そんなもんじゃない。決して無理はしない。非道だって避けて通り、堪忍のならぬところを堪え、己に克つ。己に克てないようじゃ、真の勇とは言えぬ。日夜、朝夕に、まず己に克つ、己に克つことが第一というもんじゃ。己に克てば天下に敵なし。これこそ、勝たざるの勝ちというもんじゃ。ただ、強いやつといえば、人欲とか私心というもの。この人欲や私心を心の中で陣取りをし合えば、十番に五番は勝てないもんじゃ。どうじゃ、分かるかな」
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その次は、誰じゃ。(第六話)
(主家の金を使い込み逃亡しようと悩む奉公人が先生を訪ねる)
「はい、私は十二歳から奉公に参り、今年二十五歳になった者でございます。親方の金を少々使い込み、その金を返そうともがきましたが、うまくゆかず、損も重なってもがいております。もう、こうなればどこかへ蒸発したいと思うとります。追手のかからぬ方角を、何とかお教え頂きたいと存じます」
先生、頭を振って答える。
「危ないこっちゃ。それは、お前さん、フクロウという鳥をご存じか。あの鳥がねぐらを替えるというのと同じことじゃ。どういう意味か分かるかな。分かるまい。そうじゃろう。昔の話じゃ。フクロウが、東をさして飛び立とうとすると、鳩が見つけて『どこへ飛び去って行かれるつもりかな』と尋ねた。フクロウは『この辺の人たちが、俺の声が悪いと言って嫌うからどこかへ行こうと思っていたよ』という。鳩はクックく笑って『どこへ行ったて、行った先の人も、また、お前さんの声の悪いのを嫌うじゃないか。お前さんの声の悪いのを治さなきゃ駄目だな。声の悪いのさえ治すしたらどこへ行かんでもいいもんなあ』と。
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どうじゃな。この話を聞いたらわかっただろう。『過則勿憚改』過ちてはすなわち改むるに憚ること勿れ。これまでの過ちは是非もない。頭を下げて心から詫びるがいい。本心からお詫びして許されたなら、今度は私心なく奉公するのじゃ。さて、そのお金のかわりには、給金も仕着せも辞して償うのじゃ。もし、お許しがなくても、どんなお咎めを受けようと、身の過ちを悔いて、改心するがいい」
その次は、誰じゃ。(第七話)
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