賣卜先生糠俵(原文、読み下し文、現代語訳)
第十三話〜第十五話
2009年10月10日寄稿の第十話〜第十二話に続いて、第十三話〜第十五話を寄稿します)

飯塚修三
 前回から、翻刻文と現代語訳、及び、現代語訳に付いている挿絵のみの掲載になっています。原文及び原著挿絵の写真版はファイル容量の関係で省略させて頂きます。申し訳ありません−編集者。 

 (現代語訳だけをお読みいただく場合はここをクリックしてください)

(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第十三話)

(この)腰物御考給(こしのものおんかんがへたま)はるべし。我等(われら)には(すこ)(おごり)なれども

珍敷(めづらしき)道具(どうぐ)(しょう)()はゞ(もとめ)たし翁目(おきなめ)(さや)をはずして

(いはく)自心(じしん)(おごり)(おも)道具(どうぐ)則性(すなはちしょう)不合也(あはぬなり)(おごり)細微(さいび)

(つゝし)べし。(これ)(ほど)(こと)(まま)よ。()れぐらゐの(こと)はなどゝ

(みづから)(ゆるす)べからず。(さかづき)一杯(いっぱい)ほどの(おごり)が。(すゑ)至り(いたり)ては

大船(だいせん)(うか)或人(あるひと)()(つば)一枚(いちまい)掘出(ほりだ)刀屋(かたなや)(よび)

此鍔(このつば)我等(われら)(ごと)には(おご)りなれど此儘置(しまゝおく)費也(つひえなり)

(この)脇差(わきざし)(うち)(かへ)し。扨此鍔(さてこのつば)(この)(ふち)頭不相應(がしらふさうあう)ならば

吟味(ぎんみ)して(たま)はるべしと。まづ縁頭(ふちがしら)(おご)ぬ。(かたはら)

(ひと)(あり)(いはく)(この)縁頭(ふちがしら)(この)(さめ)不足(ふそく)ならずや(おごり)(たま)へといふ。

(また)(さめ)(おご)ぬ。(なか)堪忍(かんにん)になりさふに()目貫(めぬき)

(さめ)(かは)ては()()へず(また)目貫(めぬき)(おご)(つか)廻り(そろ)へは

(はじ)(おご)りになると(おも)ひし(つば)(いま)にては不足(ふそく)なれ(ども)(これ)

まづ堪忍(かんにん)すべし。堪忍(かんにん)のならぬは肝心(かんじん)(たましゐ)と。相應(さうおう)

()吟味(ぎんみ)して(これ)(おご)切羽(せっぱ)ゞき(しとゝ)目迄打揃(めまでうちそろひ)

(これ)相應(さうおう)小柄(こつか)をと方々(ほうぼう)吟味(ぎんみ)(これ)(おご)りぬ。(さて)

腰物(こしのもの)釣合(つりあふ)印籠(いんろう)巾着(きんちゃく)(おご)(これ)をさげ。(これ)(さし)

着替(きかへ)て。(さし)てぶらさげても。是迄(これまで)朋友(ほうゆう)一家(いっけ)

(だん)(ちがひ)にて面白(おもしろ)からず。様々(さまざま)吟味(ぎんみ)して。風躰相(ふうていさう)

(おう)付合(つきあひ)(おご)り。此付合(このつきあいひ)(この)座敷(ざしき)下作(げさく)(には)

(まは)不風雅(ぶゝうが)など家業(かぎやう)勝手(かって)もかまはず。家屋鋪(いへやしき)

(ひろ)造作(ざうさく)物好(ものずき)(これ)より(おご)りに()(いっ)て。(つひ)には

身躰(しんたい)棒振(ぼうふり)(むし)浮沈(うきしづ)()(なら)()

(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第十四話)

 

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先生(せんせい)(うらなひ)玄妙(げんめう)なる事兼(ことかね)(それがし)(うけたまは)金子(かね)()

()(つく)(やう)御考給(おんかんがへたまは)るまじきや。(おきな)しやにかまへて

(いはく)(ひと)草木(さうもく)培事(つちかふこと)()れども(こゝろ)(つちか)ふことを

()らず。(こゝろ)不培(つちかはざる)(ゆゑ)貪欲(どんよく)にして()(こと)()らず。

()(こと)()らざれば千筥(ちはこ)(たから)()(ごと)(これ)

貧乏人(びんぼうにん)とも()ひ。又有財餽(またうざいがき)ともいふ。()(こと)()

()(こと)()れ。()(こと)()るときは。(これ)(ばん)(ぷく)長者(ちやうじゃ)

なり。(なに)をか(あり)とし。(なに)をか(なし)とせん。或人(あるひと)(かた)りき

我庭前(わがていぜん)(なし)()あり。(はじめ)()(むす)事九(ことこゝの)(その)(とし)

(ふた)不足(たらず)(その)翌年(よくねん)三十(さんじふ)()(この)(とし)(また)不足事(たらざること)十二三(じふにさん)

 

 

(その)翌年(よくねん)五十生(ごじふなり)て。廿(にじふ)不足(たらず)(なし)(かず)()せば。不足數彌々(たらざるかずいよいよ)

()し。(のち)()()して(くばり)ぬ。一昨年(いっさくねん)大風(おおかぜ)(この)

(なし)()(たほ)れて(かれ)ぬ。其後(そのゝち)(なし)もなし。不足事(たらざること)

世話(せわ)なし(おに)(こぶ)()られしと(わらひ)ぬ。

(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第十五話)

(さけ)酔本性(ゑひほんしやう)(わす)れず昨日(きのう)(あと)(きゝ)(まゐ)った(さけ)

損益(そんゑき)(うけたまは)らん。(おきな)(いはく)(ことわざ)一杯人(いっぱいひと)(さけ)(のみ)二杯(にはい)(さけ)(さけ)

(のみ)三杯(さんばい)酒人(さけひと)(のむ)(ひと)(さけ)(のむ)ときは(うつ)(さん)()(やわ)らげ

(どく)()邪氣(じゃき)(ふせ)(なつ)(しょ)をはらひ。(ふゆ)

(かん)(しの)(これ)(さけ)飲人也(のむひとなり)(はる)(はな)(あき)(つき)にも

(さけ)飲人(のむひと)(まれ)にして。(おほく)酒人(さけひと)をのむ。子曰(しのゝたまはく)(た )(さけ)()無量(はかりなし)

不及亂(らんにおよばず)(ひと)下戸(げこ)あり上戸(じやうご)あり。其數(そのすう)(はかり)なし

唯亂(たゞらん)不及(およばざる)(かぎ)とす。柔弱(じうじゃく)多慾(たよく)(ともがら)は。(みな)(さけ)

(のま)(ほか)(おこな)ひを(やぶ)り。内徳(うちとく)(みだ)(あやまち)(これ)より(おほい)

なるはなし。又曰不為酒困(またいはくさけのみだれをなさず)(すで)(みだ)るにいたりては

(かろ)きものは(やまひ)(なり)()()(そん)?()(けつ)(かも)す。(さけ)

よって(おこ)(やまひ)一々擧(いちいちあぐ)るにいとまなし。(おも)(とき)

父母(ふぼ)(わす)(いのち)をも(をと)す。(あるひ)(くに)をも(うしな)ひ。(いえ)をも

(やぶ)り。海山(うみやま)(のみ)田畑(たはた)()牛馬(ぎうば)()(むすめ)をも()

此類又數(このるいまたかず)()らず(きゃく)(ひぢ)(はっ)(いはく)(なんぢ)下戸(げこ)分際(ぶんざい)として

(なん)(さけ)意味(いみ)()らん(なんぢ)(さけ)(あやまち)のみ(しっ)(ざけ)(とく)

()らざる(なり)(さけ)(うれひ)(たま)(はゝき)五六杯(ごろくはい)かたむくれば。(うれひ)ても屈託(くったく)でも。さつはりと掃散(はきちら)し。(こゝろ)かゝる(ちり)もなく

泣顔(なきがほ)忽ち(たちまち)笑顔(ゑがほ)となる。(これ)(ざけ)一徳也(いっとくなり)素面(すめん)のときは

心細く(こゝろぼそく)一人(ひとり)一里(いちり)(みち)()けぬ(のめ)(たちま)(せん)人力(にんりき)(やま)

でも(かは)でも(おそ)れなく(かへっ)夜道(よみち)(おも)(しろい)。これ(とく)

(ふたつ)なり。可談事(だんすべきこと)(ある)ときなど(さけ)(ちから)()らざれは。(こゝろ)

(よわ)(くち)(おも)下戸(げこ)にさへ()(まけ)る。不思議(ふしぎ)(さけ)

乗移(のりうつ)れば(かたはら)(ひと)なき心地(こゝち)長者(ちょうじゃ)でも先輩(せんぱい)でも

()()(まげ)()(ふせ)る。(これ)(とく)三也(みつなり)嗚呼(あゝ)(さけ)なる(かな)

(おきな)(いはく)(なんじ)所謂(いはゆる)(とく)我所謂過也(わがいはゆるあやまちなり)(ひと)賢愚(けんぐ)

となく。老少(らうしやう)となく(うれひ)なき(こと)不能(あたはず)父母疾(ふぼやまひ)

臥給(ふしたま)()(また)()まかり(たま)ひても。(なんぢ)(さけ)(うれひ)

(はら)ひ。泣顔忽(なきがほたちまち)笑顔(ゑがほ)にするか。是過(これあやまち)(だい)一也(ゝちなり)孟子(もうし)(いはく)

知命(めいをしるものは)者不立岩牆之下(がんしやうのもとにたゝず)(あやまち)(おそ)れざるは。(めい)()

ざる者也(ものなり)(かへっ)夜道(よみち)面白(おもしろ)山川(やまかは)(おそれ)もなく(わざわひ)

(まね)(こと)是又過(これまたあやまち)にあらざるや。(なんぢ)傍若無人(ぼうじゃくぶじん)(ひと)

(あらそ)ひ。()()(まげ)云伏(いひふせ)るを。(さけ)(とく)なりといふ。(くち)

これ(わざはひ)(もん)(さけ)是災(これわざはひ)根也(ねなり)(なんぢ)はいまだ(ゑひ)ひが(さめ)

まあまあ(やす)(のち)(あは)ふ。

(きゃく)(いはく)(さけ)(ろん)はまづ(おく)(くち)(わざはひ)(かど)ならば。善導(ぜんどう)大師(だいし)

(くち)より彌陀(みだ)吹出(ふきだ)(こと)如何(いかん)(おきな)(いはく)(とのふ)れば(ほとけ)

(われ)なかりけり()()()()()(ぶつ)(くち)からは(ほとけ)()さふと。

(おに)()さふと。(うそ)()さふと。(まこと)()ふと(さいはひ)()

(わざはひ)()づ。(した)しくなるも(くち)(うと)なるも(くち)(やぶ)るゝも(ぐち)()るも(くち)(くち)ばかり(かく)あるに(あら)ず。(ぬす)する()もあり。欠落(かけおち)

する(あし)もあり。不義(ふぎ)道具(どうぐ)所持(しょぢ)したる()なれば。

不慎(つゝしまずんば)あるべからず。古語曰(こごいはく)一言以興邦(いちごんもってくにをおこし)一言以亡邦(いちごんもってくにをほろぼす)

baibokusensei10-12
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現代語訳第十三話〜第十五話、挿絵は父・重三

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その次は、誰じゃ。(第十三話)

(身分相応かどうか、奢りの心があったら将来どうか案じて先生を訪ねる)

「はい、腰の物を見て頂き、お考えをお聞きしたいと思いまして。自分にはちょっと奢りかなと思いつつ、でも珍しい道具なので性に合うようなら求めたいと思いまして」

「何じゃと。自分で奢りかも知れんと思う道具なら、性に合わんのじゃ。奢りというものは、細微を慎まなきゃいかん。これ程のことはよかろう、あれ位ならマアマアと思うようじゃいかん。盃に一杯ほどの奢りが木になると大船を浮かべるという(たとえ)もある。ある人が、見事な(つば)を一枚掘り出した。

早速、刀屋を読んで『この鍔は、自分らには奢りに思うけれど、このまま置くのも惜しい。そこで、この脇差へ打ち替えてみようかと思うが、さて、この鍔にこの縁頭(ふちがしら)はどうじゃろう。不相応なら、縁頭もいい方に取り替えたいが』と縁頭も立派なものにした。ある人が、それを見て『この縁頭に、この鍔はちょっと映りが悪い。張りこんでいいのにしたら』と言われ、それもそうだと取り替えることにした。それも高価な目貫鮫にした。

 このようにして、柄まわりが揃うと、初めに奢りかも知れないと思うた鍔もだんだんと不足に思われだす。でも、これは堪忍することにした。堪忍のできないのは、その中味、刀身じゃ。刀身こそ、刀の魂というもの。そこで、とうとう刀身こそ、刀の魂というもの。そこで、とうとう刀身も吟味して、これも立派なものにしたのじゃ。

 こうなれば、履物、服装までに合うようなものをせねばならぬと言う有様じゃ。

 小柄も方々吟味して手に入れる。腰の物につりあう印籠(いんろう)巾着(きんちゃく)まで、値段の高い品を買い求め、衣類もまた呉服屋を呼んでやれこの(はかま)羽織(はおり)は不足じゃと、小袖(こそで)に帯が劣るなどと言う有様。

とうとう、これまでの盟友も気に入らない。いろいろ吟味した挙句、風体相応の付き合いが始まるというもの。この付き合いに、この座敷は釣り合わぬ。いや、庭まわりも風雅にしなきゃと家屋敷も広めて、造作の物好きという。とりとめのない奢りになってしもうたのじゃ。

 気が付いた時には、もう財産も棒振り虫。ちょっとの奢りの心があったばかりに、こんなことになった。お前さんも気を付けるこっちゃ。分かるかな、どうじゃ」

 

 その次は、誰じゃ。(第十四話)

(金のなる木の作りかたを知りたいものだと、先生を訪ねた)

「はい、私はかねてより金のなる木が欲しいとおもってありました。ところで、先生のお考えを聞かせてもらおうと存じまして」

「人間は、草や木の育てかたを知っておるが、心に培うことを知らん。心に培わざるゆえに貪欲なことばかり考えとる。そして、足るということが分からん。足ることを知らないということは、千両箱の宝もないのといっしょだ。

 こんなのを貧乏人というのじゃ。また、別名を有財鬼とも

いう。足ることを知れ。足ることを知る時は、これを万福長者というのじゃ。足ることを知るということは、それほど大事なことじゃ。

 ある人が、こんなことを語ってくれた『自分の庭先に梨の木があった。初めて九つの実を結んだ。その年は、近所や知り合いに配ったら、二つ不足した。

もう二つさえ出来ていたらよかったのにと思った。ところで、その翌年、三十個実を結んだ。この年もあちこち配っておると十二、三個にも足らなかった。

 前の年のことを考えると、たしかに余るはずだ。さて、その翌年は五十個実った。ところが、配ってみると二十個足らなかった。梨の数が増えてくると、配る家も増えてくる。どうじゃ、とうとう後には、買い足して配ったりするようになった。ところが、大風でこの木も倒れて枯れてしまった。それからは、『梨も無し』。足らないことの心配も無し、配る世話も無くなった。『鬼にコブを取られたようなものじゃ』と笑いあったそうな」

 

 その次は、誰じゃ。(第十五話)

(酒の損益について考えてみたが、どうも分らないというので先生を訪ねる)

「はい、『酒の酔い本性を忘れず』と申しますが、さて、お

酒のことについて、その損益はどんなもんでしょうか。お話ください」

「お酒のことか。諺に『一杯、人、酒を飲み、二杯、酒、酒を飲み、三杯、酒、人を飲む』という。

 どうじゃ、人、酒を飲むときは、心の塞ぎを散じ、血を和らげ、毒を消し、邪気を防ぎ、夏は暑さを払い、冬は寒を凌ぐ。これ、酒を飲む人のことじゃ。春の花、秋の月にも酒を飲むという様な本当の酒飲みは少ないものじゃ。

 ところが、どうじゃな。大抵、酒、人を飲むという有様じゃ。子曰く『唯酒無量不及乱』。人によって、下戸もあり、上戸もある。その数に量り無し。唯、乱に及ばざるを限りとす、といわれておる。柔弱多欲の(やから)は、酒に飲まれ、行ない悪く、徳を乱すというものじゃ。過ちの本じゃぞ。また、酒によって身体を損ね、病となり、胃を損じ、悪血をかもすという。酒によって起こる病気も一々挙げるに暇なしというほどじゃ。父母を忘れ、命も落とし、あるいは国をも亡ぼすという。家も、田畑も、牛や馬も飲み、中には娘までも飲む者までおる。このような話はあちこちにあるものじゃ。こんな話をしていると、酒好きの客が肘をはって『下戸のあんたに酒の徳が分らんはず。酒は悪いの玉箒というもの。五、六杯傾けりゃ、憂いがあろうと、屈託があろうと、さっぱりと

掃きちらし、心にかかる塵もなく、泣き顔もたちまち笑顔になる。これが酒の先ず徳の一というもの。素面(しらふ)のときには心細くなり、一人で一里の道もよう行かん。ところが飲んだら、いっぺんに千人力、山でも川でも怖くはない。夜道まで(かえ)って面白い。これが徳の二というもの。話などする時も、酒を飲まないと心も弱く、口も重く、下戸にさえも言い負ける。どんな人でも酒が乗り移ると、長者だろうが、先輩だろうが、

非を理に曲げてでも言い伏せる。これ徳の三というもの。ああ酒なるかな、酒なるかなじゃ』と。

 さあそこでじゃ。これからが大事な話じゃ。しっかり耳を傾けて聞くがいい。あんたの言われる徳というものは、みな過ちの本じゃ。賢愚の別な苦く、老少によらず人間には憂いがあるもの。親が病気で苦しみ,また,死なれても、酒で憂いを払い泣き顔もたちまち笑顔にすることができるというのか。これが酒の過ちをおかす第一のことじゃ。孟子の曰く『知命者、不立岩礁之下』。危険を恐れないものは命を知らぬというもの。やれ、夜道が面白いの、山川の恐れもなく、災いを招くこともある。これ過ちというもの、傍若無人に人と争い、非を理に曲げても言い伏せるのを酒の徳といったが、どうして、これこそ災いの門じゃ。酒は災いの根じゃ。酔いが醒めたらまた、語ろうや。まあ、休みなさい」

 

 その次は、誰じゃ。(第十六話)

(無学なる故に、自信を失い今後どのように進むべきかと先生を訪ねる)

「はい、毎日の暮らしに追われ、学問もできず文盲でございますが、こんな私でも道にかなう行いができるでしょうか」

「できるとも、立派にできる。孝行をするのじゃ。論語に曰

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