賣卜先生糠俵(原文、読み下し文、現代語訳)
飯塚修三
 私は現在西宮で眼科医院を開業しており、心学明誠舎の舎員でもある。私の姫路の実家は天保時代に孝徳舎という心学塾であった。心学だけでなく、和算も教えていた。塾主は赤鹿歓行・歓貞の父子である。歓貞は塾生のために粘土製地球儀を手ずから作っている。これは本邦二十二番目に古い地球儀である。

 孝徳舎の建物は現存している。この孝徳舎の土蔵の二階にハサミ箱があった。その中より、私の父・重三が「賣卜先生糠俵」という本を見つけた。そして現代語訳を原稿用紙に書きとめていた。

 「賣卜先生糠俵」は安永六年(一七七七)、鎌田一窓によって出版された心学道話である。賣卜先生はいろいろな悩みに即答するが、その答えは奇知に富みその風刺に妙味がある。
「賣卜先生糠俵」には、時代の制約で、第一話を始め、女大学さながらの男女差別的な箇所も散見されるが、全体として、現代にも通じる教訓あり、漫談あり、落語あり。笑原(笑福)の一書として読んで頂ければ幸いである。

 平成八年(一九九六)、父は八十五歳で永眠した。平成二十年(二〇〇八)は十三回忌にあたる。父(明治四十三年生)は姫路師範卒業後、小中学校の教職に就き、退職後は郷土史研究にうちこんだ。幸福な人生を終えた父を偲び、父が現代語訳した「賣卜先生糠俵」の一部を本ホームページで紹介したい次第である。

ここでは、容量の関係で三話分を紹介するが、何らかの形で全容の紹介が出来る機会があれば幸せである。

平成二十年八月

  原文と読み下し文 

 (現代語訳だけをお読みいただく場合はここをクリックしてください)
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賣卜(ばいぼく)先生(せんせい)糠俵(こぬかたわら)(じょ)(原文)

()(ゆう)(さと)(おきな)あり。賣卜(ばいぼく)先生(せんせい)

いふ。終日(ひねもす)(した)(たがやせ)ども。()(つちか)ふにも

あらず。()(たい)しては。(こう)()べ。(しん)

()ふては(ちゅう)(とけ)ども。(みづから)行事(おこなふこと)不能(あたはざれば) 

陰陽師(おんみやうじ)()(うへ)知らずといふも宜也(むべなり)

(もと)より不學者(ふがくしゃ)(ろん)不負(まけず)(くち)かる(まま)

()()(こと)()()らせば。(こぬか)(だわら)

(だい)して(その)(くち)(かがり)ぬ。

 安永六年丁酉五月  虚白斎

 

 

賣卜先生糠俵 (第一話)

賣卜(ばいぼく)先生(せんせい)(せき)(あらた)一番(いちばん)(たれ)はじゃ

(わたくし)縁組(ゑんぐみ)(こと)()()(うらなひ)(たのみ)たし。(おきな)算木(さんぎ)

(なげ)(いはく)(のぞみ)て人は二人(のぞま)れてはひとり一方は(をとこ)ぶり

不足(ふそく)なけれども(ほか)(こと)(すこ)言分(いひぶん)(また)一方は

(ほか)(いひ)(ぶん)なけれども男振(をとこぶり)が少し(おと)()(をんな)(いはく)

(さて)(さて)きつい見通(みどほ)しさま(おほせ)(とほ)り一方()器量(きりやう)

不足(ふそく)なけれども親連(おやたち)(むかし)かた()。 暮方(くらしかた)(じやう)(すぎ)るの

格式(かくしき)(よう)(すぎ)(なんの)(かの)と申されます。又一方は諸事(しょじ)

質素(しっそに)倹約(けんやく)(まも)(いへ)親連(おやたち)此方(このほう)(のぞみ)なれど器量(きりやう)

 

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()(ほど)にござりませぬ。(おきな)(いはく)親連(おやたち)(なん)といふぞはい。

親連(おやたち)質素(しっそ)(かた)(のぞみ)なれど(わたくし)(かほ)()(ゑん)

(みち)ばかりは押付(おしつけ)けられぬ其方(そなた)(こゝろ)次第(しだい)(ある)(ゆえ)

(わたくし)(こゝろ)(まよ)(うらなひ)(まか)する()(おきな)()角立(かどたて)(いはく)卜以(ぼくはもって)

決疑不疑何卜(うたがひをけっすうたがはずんばなんぞぼくせん)(おな)(みち)二筋(ふたすぢ)(あり)(とふ)(ひと)()不知(しらざる)

ときは(うらなふ)(てん)(まか)す。(ひと)筋道(すぢみち)に卜は()らぬ。(この)縁組(ゑんぐみ)

畳算(たゝみざん)入物歟(いるものか)(ゑん)(みち)ばかりは押付(おしつけ)られぬなどゝは

(おや)(たち)(おや)(たち)(そだ)てが(わる)い。(なんぢ)嫁入(よめいり)せば()(もっ)(おも)

()(おや)()思事(おもふこと)(かり)(そめ)ならず(わが)なき(のち)にも

()(あろ)うか(かく)はあるまいかと(すゑ)(すゑ)まで案じ(あん)(おく)(おや)

 

 

安堵(あんど)する(ほう)(むすめ)不機嫌(ふきげん)(むすめ)(すき)なは(おや)氣遣(きづか)

其處(そのところ)へは心の()かず。(はな)(さき)男撰(をとこえら)腹筋(はらすぢ)がよれる

わい。(おや)指圖(さしづ)は天のさしづ(おや)(そむ)くは天にそむく

何國(いづく)にて()(たつ)べきぞ。(こと)(さら)婦人(ふじん)(たっとき)(いやしき)

(おや)()()無數(すくなき)もの。故に(かゝるがゆゑ)(つく)しても(つく)しても

(つく)()らぬは(をんな)孝行(かうかう)嫁入(よめいり)りしては(おっと)につかへ(おっと)

(おや)孝行(かうかう)(つく)(おい)ては()(したが)()(うみ)(おや)(つかふ)るは

(わづか)十五年か二十年。孝行(かうかう)()らずとも(おや)(のぞみ)(かた)

(ゆき)()(たすく)るがせめての孝行涕(かうかうはな)もかんで(なみだ)

(のごひ)(はや)(かへ)りて孝行(かうかう)(つく)

 

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(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第二話)

(わたくし)渡世(とせい)()小糠商賣(こぬかしやうばい)まんまと口過(くちすぎ)はいたせども

はかりきった身躰(しんたい)にて大晦日(おおつごもり)はずりはらひ。

年中(ねんぢゅう)(ぬか)(ばたら)きをするも残念(ざんねん)商賣(しやうばい)(がへ)(いた)(つも)り。

(これ)々の内何商賣(うちなにしやうばい)(しやう)(あは)ん。御占給(おんうらなひたまは)るべし。賣卜(ばいぼく)

(おう)(いはく)。何商賣も(おな)(こと)。一升(いる)徳利(とくり)は一升。(あふ)

(あは)ざるは時也(ときなり)律儀一(りちぎいっ)(へん)仕馴(しなれ)小糠(こぬか)よかるべし。

扨又爰(さてまたこゝ)塞翁(さいおう)(うま)といふ(こと)がある。(しん)をとって

能聞(よくきか)れい。其元(そこもと)(かる)渡世(とせい)(くすり)(なっ)達者(たっしゃ)

 

 

()るやら。商賣(しょうばい)(かへ)(こゝろ)づかひが(おほ)くなり(わづら)ふて(しぬ)やら。

(かへ)商賣(しやうばい)繁昌(はんじょう)して(にわか)金持(ゝねもち)(ならふ)やら。(その)(かね)(ゆゑ)

(ぬすみ)()丸裸(まるはだか)(ならふ)やら。()()ねば()れぬ(こと)じゃ。

西(にし)()たらば(いぬ)(かまれ)まいものを(ひがし)()(いぬ)(かま)

たと(おも)へども。西(にし)()かなんだが(なんぼ)(ほど)仕合(しあはせ)やら。(うち)

()(この)(あし)蹴缺(けかく)まいにといへど。(たな)(もの)(おち)(かゝり)

天窓(あたま)(きず)(つか)ふやら。(その)(きず)のおかげにて持病(ぢびょう)

頭痛(づつう)(なほ)るやら。人間(にんげん)萬事(ばんじ)塞翁(さいおう)(うま)(さて)(この)人間(にんげん)

萬事(ばんじ)

内少(うちすこ)しにても(わたくし)這入(はい)れば塞翁(さいおう)(うま)とは

(いは)さぬ。可爲事(すべきこと)をせず()まじき(こと)をしての(わざわひ)

 

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(おのれ)がなす(ところ)なり。萬事(ばんじ)(わたくし)(まじ)へず(つゝし)み。其上(そのうへ)

()禍福(くわふく)吉凶(きっきやう)苦楽(くらく)(さい)(おう)どのに(まか)すべし

(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第三話)

愚老(ぐろう)(じやう)(みょう)御占給(おんうらなひたまは)るべし。(おきな)(いはく)長壽(ながいき)(のぞみ)ならば

将死(しぬる)とき(われ)百歳(ひゃくさい)まで(いき)たと(おも)へ。百歳(ひゃくさい)まで

(いき)たと(おも)へば百歳(ひゃくさい)八十じゃと(おも)へば八十(たゞ)八十の

(ひゃく)(おも)ふばかりの(こと)也。七十にて(しぬ)る人思違(おもひちが)

にて八十じゃと(おも)へば八十イヤ六十じゃと(おも)へば

六十(みな)(おも)(まで)事也(ことなり)(いのち)(あと)()(さき)もなく

 

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(いま)ばっかりのもの(なり)(われ)(つね)()ふ。世界(せかい)(みな)同年(おないどし)斯云(かくい)

へばとて生死(しやうし)在天(てんにあり)此方(こち)()った(こと)では()いと

いふは(した)(なが)(その)天明(てんめい)(ちゞむ)るは人也(ひとなり)飲食衽席(いんしょくじんせき)()

養生(やうじやう)(しち)(じやう)(もち)ゐやうにて一生(いっしょう)(うち)幾年(いくつ)(ちゞむ)るも

()れぬ四十にて(しぬ)る人天命(てんめい)は五十じゃやら。五十

にて(しぬ)る人五十五が天命(てんめい)やら。醫書(いしょ)(いはく)(わが)命在(めいわれに)(あり)

不在於天(てんにあらず)

(その)次ぎ(つぎ)(たれ)じゃ (第四話)

此間打續(このあいだうちつゞき)夢見(ゆめみ)(あし)(おん)占給(うらなひたま)はるべし。(おきな)(いはく)夢見(ゆめみ)

 

 賣卜先生 糠俵の序(現代語訳、挿絵は父・重三)

無可有の里に翁あり。

賣卜先生という。終日(ひねもす)舌を耕せども,身に培うにもあらず。子に対しては孝を述べ、臣に遇うては忠を

説けども、自ら行なうこと能わず、陰陽師身の上知らずというも宜なり。

 本より、不学者論に負けず。口あるままに実も無いことを言いちらせば、糠袋と題してその口を(かが)りぬ。

 

  安永六年 丁酉五月   虚白斉

 

 一番は、誰じゃ。(第一話)

(娘が二つの縁談に悩んだあげく、どちらを選ぶべきか、と先生を訪ねる)


「はい、私は縁談のことについて悩んでおります」

先生は、やがて算木をくって、穏やかに言った。

「望み人は二人、望まれ人は一人。一方は、男に不足はないけれども、外のことに少し言い分がある。また、一方は、外に言い分はないけれども、男っぷりが少し劣るか」

 娘は、全く見通されて驚く。

「そうなんです。仰せの通り、一方は器量に不足はありま



せんが、親たちは昔気質、暮らし方が

上過ぎるとか、やれ、格式が高すぎるとか、何とかかんとか言われます。また、一方はものごとの質素倹約を守る家です。でも、器量はさほどでもありません」

「親たちは、どういう意見じゃ」

「はい、私の顔を見て、『縁の道ばかりは押し付けられぬ。おまえの心しだいじゃ』と申します。そこで私の心が迷いまして、先生の占いにまかせたいとおもいまして」

先生憤然として、言葉も荒く、

「縁の道ばかりは押し付けられぬなどとは親たちも親たち、育ちが悪いぞ。あんたも嫁入りして子を持ったら思い知れ。親が子を思うこと、仮そめではないぞ。おのれが死んだ後にも、こうであるまいか、ああであるまいかと、末の末まで案ずるのが親というものじゃ。

 どうじゃ、親たちの安堵する方は、娘の不機嫌、いやじゃろう。娘の好きな方は、親への気づかいというところじゃ。本心はどうじゃ。鼻の先の男えらみというもの、聞いていて、こっちの腹筋がよじれるわい。親たちの望みの方こそ『天の指図』というものじゃ。『天の指図』に背いて、どこへ行ったって、見の立つところはないものじゃ。とりわけ女は、生みの親に仕えるのは、わずか二十年そこそこ。

 嫁入りしては、夫に仕え、夫の親に孝行を尽くし、老いては子に従うのが女の道というもの。どうじゃ、分かってきたかな。親の望みての方にゆき、気を安ませるのがせめてもの孝行。尽くしても、尽くしても足らぬは女の孝行というものじゃ。鼻でもかんで、涙を拭いて、早う帰って孝行を尽くせ」

 

 その次は、誰じゃ。(第二話)

(商売替えをしたいと、考えあぐんだ末、商人が、先生を訪ねる)

「はい、私は小糠商売、まんまと口過ぎは致しておりますが、どうしても面白くございません。年がら年中、ぬか働きしとるんも、残念でございまして、商売替えをしたいと思うとります。さて、そこで、どんな商売が、私の性分にあいましゃっろか」

「どの商売も、同じことじゃ。一升入る一升徳利は一升じゃ。合うとか、合わんとか、これも時代じゃ、時というもんじゃ。律儀ひとすじに慣れた小糠(こぬか)もよろしかろう。さて、また、ここに話にいう塞翁が馬ということもある。さあ、そこでよく聞いてもらおう。

 お前がやってる慣れた仕事が薬になって、達者で長生きするやら、商売替えして、気づかいが多くなって早う死ぬやら、それは分からん。ところで、また、替えた商売が大繁盛で、にわかに大金持ちになれるやら。ところがじゃ、その金持ちになったがために盗みにあって丸裸になるやも知れん。これは、やってみなきゃ分からん。

 西へ行ったら犬に咬まれんものを、東へ行って犬に咬まれる人もおる。内におったら怪我はなかったのに、といっても、棚の物が落ちてきて頭へ傷をすることもあるのじゃ。分かるかな。さて、その頭にあたったおかげで、持病の頭痛が治るやら。全く運なんてそんなもんじゃ。こういうところが、人間万事塞翁が馬というんじゃな。

 ところで、ここでよく聞くがいい。いいかな、人間万事のうち、少しなりとも『私』がはいったら塞翁が馬とは言わさんぞ。為すべきことをせず、為すまじきことをしての禍福があれば、己が為したところというもんじゃ。どうじゃ、この心が分かるかな。

私心を交えず、慎みを忘れずに為した上でやってくる吉凶・禍福というものは、こりゃ塞翁殿に任せなきゃならんというこっちゃ」

 

 その次は、誰じゃ。(第三話)

(長寿を願う老人が、なお生についての執着に悩み、先生を訪ねる)

「はい、私はもうあと何年ぐらい達者でおられますやろか。教えてくんなはれ」

「寿命のことじゃな。長生きが望みのようじゃが、それが望みなら、こう考えなされ。死ぬとき、私は百歳まで生きたと思うことじゃ。百歳まで生きたと思えば、その人は百歳。八十じゃと思えば、その人は八十じゃ。考えてみれば八十じゃと思えば八十。百じゃと思えば百と思うばかりのことじゃ。七十で死んだ人が思い違いをして八十じゃと思えば八十。いやいや、それが反対に六十じゃと思えば六十じゃ。

みんな思うまでのことじゃ。命というものは、跡もなく、先

もなく今ばっかりのものじゃ。『生死は天に在り』とか言って、『こっちの知ったことじゃない』という人は舌長というもんじゃ。しかし、ここが大事じゃ。その天命を縮めるものは『人』というもんじゃ。飲食の不摂生、不養生,七情の用いようで、おのれ自身が、一生を幾年ちぢめておるか、知れたもんじゃない。四十歳で死んだ人も、天命は五十歳だったかも知れん。五十歳で死んだ人の天命が六十歳だったかも、そりゃ分からん。

 医書にいう『我命在我、不在於天』とな」

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