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(蚕棚の)上の壇に新しい敷物を設けられ、数多くの女たちにかしずかれて、桑の葉を食う者がいる。 翁は嘆いて、「虎は美しい文様があることによって射られ、蚕は生糸を生み出すことによって煮られる。漆の木は漆が採れることによってその身を削られるが、樗という木は役に立たないものであることによってその身が切られることはない。価値がある木は、そのことによって切り倒され、天寿を終えることができないのはむなしいことだ」と語った。 蚕は(昂然と)頭を上げて、「有用の材か不用の材かは天の定めによるのである。自ら望んだことではなくそうなっているのである。望んでそうなるものならば、誰が君主にならずにおられようか、また、誰が召使いになろうとするであろうか。誰が富貴を望まないだろうか、また、誰が貧賤を望むだろうか。一方で私は、母の胎内を出た時から、(回りの)人の協力や期待を受けて成長した。これは望んでそうなるものなのであろうか。成長した今になって思えば、朝な夕なに(多くの人々から)受けた慈しみと養育は、親が子どもを見るようなものであった。朝夕の福徳をいただくのは、時には君主のように時には臣下のようであった」と語った。 翁は、「女は自分の美貌を喜んでくれる人のために顔や身なりを整え、士は自分を理解してくれる人のために命を捧げるという。おまえは、この言葉にひたむきな思いを寄せているか。どうして立派な仕事を成し遂げ、世間の名声を得てから身を退こうとしないのか」と尋ねた。 蚕は怒りを顔にあらわして、「私は取るに足りない臣下であると言っても、どうして予譲の忠義話(のようなもの)を問題にしようか。予譲が范氏や中行氏に仕えた時は、『范氏や中行氏は私が会う際に凡人並の扱いで接した。それ故に私は彼らに対しては凡人並みの態度で接したのです』と言って、(予譲は仕えた二人の)仇を討つことはなかった。その後、知伯に仕えた時は、『知伯は私に会う際に国士として処遇してくれた。それ故に私は彼の恩義に国士として報いるのです』と言って、全身に漆を塗って、眉毛を抜き去り、癩病に掛かった姿に見せ、乞食に化け、非人の姿に身を変えての芝居がかった行動などは、(私から見れば)予譲の忠義は、目先の利益を求める現銀商い(のようなもの)で、計算尽くの行為である。芝居好きはその忠義を誉めもするだろうが、真実の武士の世界ではまったくあり得ないことである。范蠡が身を引いたことにしても、勾践の生来の人柄を見て、苦難はともにしても、楽しみをともにできない気性だと知って彼のもとを去ったのである。予譲や范蠡など(忠義)は一季や半季の渡り奉公と同じようなものだ。代々同じ主君に仕える家臣には起こり得ないことである。私などは身分が低いものではあるが、代々俸禄をいただいて、父母や妻子が安穏に暮らしていけることは、(主君のおかげであり)まことに、(主君を)命の親というのも、むしろ恐れ多いほどのものである。父母の頭の先から、妻子の足のつま先まで、主君の恩恵が染みこんでいる。数代にわたって俸禄をいただいたので、馬に乗るのも槍を振りまわすのも、多くの供の人々を引き連れるのも、すべてみな主君のおかげである。衣食住はもちろんのこと、武具や馬具を始めとして紙一枚筆一本、鶏や犬を飼うに至るまで、主君の恩恵によらないものはない。代々にわたって(子孫の)誕生も(祖先の)葬祭も主君の恩恵によるものであるから、主君を諫めても聞き入れて下さらないからといって、身を退くことなどあってよいものか。三度諫めて(主君が聞き入れないときはいさぎよく)辞職するなどということは、外国人(=中国人)ならともかくとして、神国である日本の武士にはまったくあり得ないことだ」と答えたのだった。 |
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第二十三話 翁、①蜜蜂の閙がしげに飛びかふを見て、問うて曰く、「②百花を採り得て蜜となし、辛苦して、誰が為に甜からしむる」。 蜜蜂振り返つて曰く、「③天地万物を生じて、誰が為にいふ事あらんや。④われも一箇の小天地。⑤なんぞ誰が為と答ふべき。人又小天地にあらざるや。⑥然るに翁は耕す事を知らず、妻は織る事を知らず。一物も産み出さずして、人の辛苦を費やすのみなり。⑦奈良茶一飯にても、何ケ国の人の辛苦ぞ。まづ米は、何国の人の辛苦にて出来し物ぞ。薪は何国の山より出て、いかなる人の辛苦成るぞ。塩は何国の浦人の辛苦にや有りけんと、言ひもて行けば、朝夕に何が国の人の辛苦を費やす事ぞや」。 翁、赤面して曰く、「⑧恥づらくは、我一物も産み出す事無うして、飽くまで食らひ、⑨暖かに衣て逸居す。⑩是禽獣に近しといはん歟」。 蜂の曰く、「翁、⑪さのみ憂ふる事なかれ。⑫四民の外に遊べども、売卜を以て業とせずや。鋤鍬を取らずといへども、⑬銘々の家業に怠らずんば、則ち是耕すなり。⑭算筆にて耕すもあり、鋸鉋にて耕すもあり、皆耕すなり。もし其の耕すに怠るときは、⑮五穀稔らず困窮す。⑯常体の人困窮すれば、思はず父母への孝もかけ、一家中朋友へも、心の外なる無礼も出来る。他人にも気の毒ながら、不届きになる事もあるものぢや。其の又甚だしき者は、⑰孟子の所謂『⑱放辟、邪侈、為ずといふこと無きに至る』。兎に角家業に怠らざれ。もしまた家業に怠らず、⑲私なくての困窮ならば、是ぞ天なり。なんぞ心を苦しめん。翁も我も小天地。⑳人をもつて天にかたざれ、人を以て天に負けざれ」。 翁の曰く、「汝が言甚だよし。然りながら、21言ふ事は易く、行ふ事は難きものなり。22人の患難を憂ふるを見ては、『是何ぞ憂へとするに足らんや』と言ひ、23人の困窮を恤ふるを見ては、『是なんぞ恤へとするに足らんや』と言ひて、24一拳有りげなる人も、自身もし其の患難にあふ歟、困窮するに至つては、25眉をひそめ色を喪ひ、うろたゆるものなり。26汝も我もしやべり也。慎まずんばあるべからず。27論語に曰ふ如く、『28言を訥くして、行の敏からん事を欲すべし』。又曰ふ、『29古への一言を出さざるは躬の逮ばざるを恥じてなり』」。 |
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翁は、たくさんの蜜蜂が騒がしく飛び交っているのを見て、「多くの花から花の蜜を採り蜂蜜を作っているが、苦労して誰のために甘い蜜にしているのだ」と言った。 蜜蜂は、振り返って、「天と地が万物を生み出しても、誰か(一人)のためということがあろうか、すべての人のためである。私自身も一つの小なる天と地である。どうして誰か(一人)のためと答えることができようか。人もまた小天地ではないのか。それなのに翁は田畑を耕すこともできず、妻は機を織ることもできない。何も産み出すことをしないで、人の苦労を費やすばかりである。たとえ奈良茶飯の一杯でも、どれだけ多くの国々の人たちの苦労の結果なのだ。まず米は、どの国の人の苦労で出来たものか。薪はどの国の山から出て、どんな人の苦労で薪になったのだ。塩は何国の海辺の人の苦労であったのだろうかと、言い続けていくと、朝晩の食事にどんなに多くの国の人の苦労が費やされていることか」と言った。 翁は、赤面して、「恥ずかしく思うことは、私は何一つ産み出すことなくして、飽きるまで食い、暖かなものを着て気楽に暮らしている。これは鳥や獣に近い生き方というのだろうか」と尋ねた。 蜂は、「翁よ、それほど気にやむ必要はない。(翁は)士農工商の内には入らないが、占いで生計を立てているではないか。鋤や鍬を手に取ることをしなくても、めいめいの家業を怠らなければ、それはすなわち働いていることなのだ。(世の中には)算術や習字で生計を立てる人もいるし、鋸や鉋を使って仕事する人もいるが、これらはみな働いているということなのだ。もし、その働くということを怠ったときは、米・麦・粟・黍・豆などの五穀が実らず困窮することになる。一般の人は困窮すると、無意識のうちに父母への孝心も欠け、家族友人たちに対しても、思いも寄らない無礼な態度も出て来る。他人に対しても気の毒ながら、不行き届きになることもあるのだ。その甚だしい者は、孟子の言う『わがまま・ひがみ、よこしま・ぜいたくなどをやりたい放題の状態になってしまう』(のだ)」。とにかく家業を怠ってはならない。もしもまた個人的な欲望を持たない結果の困窮ならば、それは天が定めた運命で受け入れるより仕方のないことだ。どうして心を苦しめる必要があろうか。翁も私も小天地だ。人間として天に勝ってはならないが、人間として天に負けてもならない」と答えたのだった。 翁は、「そなたはたいへんいいことを言った。しかし、口で言うのはたやすいが、それを実行するのは難しいものである。人が患難して憂えているのを見ては、「この程度のことはどうして憂えとする必要があろうか」と言って、ちょっとした自負がありそうな人も、自分がもしその患難にあったり、困窮したりする場合には、顔をしかめて真っ青になり、取り乱すものである。そなたも私もおしゃべりである。慎まなければならない。『論語』でも次のように、『口を重くして、行いを敏捷にすることを願うべきである』と(孔子が)おっしゃっている。さらに(孔子は)、『古人が言葉を軽々しく出さなかったのは、身の行いが言葉に及ばないのを恥じてのことである』ともおっしゃっている」と語ったのであった。 |
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