石門心学の現代的意義

〜学校教育に訓育の導入を〜


会員  藤野 孝夫  .

13.11.05   
はじめに

私の住む島根県の地方紙に山陰中央新報がある。
一流ホテルのメニューの偽称には、いやけと失望の毎日であったが、只今から紹介するように、私の愛読するこの地方紙のコラム欄は、わが梅岩先生の教えを紹介し、仕事に携わる人々に警鐘を鳴らしている。
一番嬉しかったのは、誰もが読んで親しまれている新聞に、梅岩を知る人も少ない時勢にあって、いかにもタイムリーな記事が掲載されたことである。私は、その意義を再確認して欲しいと思い、教育の場で、日本の経営思想の源流でもある正直・倹約という日本的良心の涵養を提言したいと思い立った。
提言とは、小学校の英語教育も結構だが、良心の教育、つまり訓育の実践の方法論についての提言である。
いい社会はいい教育によって創造される。教育改革は小手先の細工ではなく百年の大計の下におこなわれなければならないと思う。

まず、平成25113日付山陰中央新報「明窓」の記事の紹介します。


梅岩の教え

 「アホなことして」では収まりそうにない。阪急阪神ホテルズが端緒になったメニューの虚偽表示は社長が辞任し、各地のホテルに飛び火した。失墜した信用を取り戻すのは容易ではない最初は誤表示と言い逃れていたが、使っていた食材の単価、品数や店の数と期間−素人でも見分けがつきそうな食材の「嘘(うそ)」は限りなくグレーに近い。プロの料理人ならなおさら。批判にたまりかねてか「偽装と受け取られても仕方ない」と発言を修正した普段行く店でもメニューの写真よりみすぼらしいとムカッとする。庶民にとって有名ホテルでの飲食は、束(つか)の間の非日常を楽しむ機会だけに許せない。ブラックタイガーや普通の豚バラ肉なら家でも食べられるそれにしても、このところ大手企業の不祥事が続く。株主利益を優先する米国流の新自由主義の浸透で目先の利益ばかりに目を奪われているとの批判を聞く。おまけに企業合併で「大男総身に知恵は回りかね」では、いただけない石門心学の祖・石田梅岩は「商人の道は正直と倹約」と説き、主人は倹約して経費を削り、その分を利益に回すのではなく、商品の値を下げることに使えば客が喜び、売り上げも利益も増えていくと諭す「儲(もう)ける」という字を分解すると諸人(多くの人)になるが、大阪の老舗料亭生まれの俳人・楠本憲吉さんは組み合わせを変え、儲けるとは「信者」をつくることと解説した。暖簾(のれん)を大事にする商いが結局は長続きする。「みんなやってまっせ」は通用しない。(己)
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私の小学生時代の記憶

 私は、昭和26年から32年にかけての6年間は、島根県の隠岐の島町の西郷小学校ですごした。当時は、正月の恒例行事として、元日の元日祭が学校で催された。下着から一新して新鮮な気持ちで登校し、全校集会である。校長先生の挨拶、その後、隠岐出身の東京工業大学名誉教授、永海佐一郎博士の講話があった。毎年同じ内容の講話であって、お世話になった恩師のお話に差し掛かると、必ず泣かれた。低学年の子等は「あっ!始まるぞ」と隣近所の方をつついて合図をしたものだ。先生は、学歴は無く実験室の手伝いをしていて助手となり、認められて教授にまでなられた苦学の化学者であった。定年後も隠岐の自宅に実験施設を造られ研究を続けられた。私が今記憶しているテーマは、すべての化学反応を説明する化学式の発見であった。

 先生は、人間の価値は、次の式で表わされるとされた。人間の価値=心のきれいさ×天職に熱心な度合であるとされ、説明された。人間の価値は、高い地位や名声では無い、だれもが、自分にしかできない仕事がある。それは天職という。君たちの前におられる先生方も、教えることが天職、お父さんもお母さんも、みんなや社会を支えるためになにかをしておられる。家の仕事・農業・漁業の仕事・船を動かす仕事・なにかをして働いておられる。それが天職である。心が零点だとどんなに天職に熱心でも零点。これが小学校一年生に理解できたかどうかは疑問である。6年生になっても、そう理解できる子は少なかったと思う。中学になり、高校生になって初めて、ああ永海先生の言われることが、分かったという事であったと思う。私も、どんなに大きな数に、ゼロをかけても、それはゼロと理解できた時を明確にはわからない。ようするに心をきれいにしよう。仕事は天から与えられた自分にしかできないものであるから、一生懸命励もうと、幼子心に覚えて日々生きる精神的な糧としたのである。友人に聞いても本当に、先生の話に自分の生き方を照らし合わせていたという者が多く、そうだった!そうだった!と掌を打ちながら話をする。

精神的バックボーンと訓育

 企業には社是がある。住友グループでは、企業は人なり。パナソニックは、共存共栄が知られる。また、京都セラミックでは、西郷隆盛の「敬天愛人」が社長室に飾られていると聞く。会社経営の経営哲学であり、精神的バックボーンである。大阪商人には、その風土に石門心学の正直・倹約・勤勉が息づいている。江戸時代に、商人は士農工商と一番下の位置に位付けがされ、農業や工業のように、実際の産物が無いのに、ただ、在る処から無い処へ移動するだけで利を取るといって、軽んぜられた。梅岩は、一生懸命にその仕事に打ち込めば、その報酬は、武士の秩禄にあたるとして利を正当化して、商人を励ました。真面目に商人道に勤しむ者、正しくそれが市井の士であると梅岩先生は叫ばれる。その業を支える心を、磨くことを勧めたのである。心を磨く方法は学問であり、いい先生に習うことによって得られる。それは訓育である。

訓育の方法

 訓育は、日々の教師の指導の中で行われるが、こと訓育については、学校の年間行事の中で定期的に繰り返し行われることが、大事であると思う。その地区の立派な経済人や、生活実践者を選定して、できれば、その同じ方に、学校集会の場を設けて繰り返し、その方の生活体験で得た人生哲学を説いていただくのである。いわゆる訓育である。こんな話、一年生にわかるだろうかとか、こと訓育に関しては講演者の熱情があれば十分である。子供はそれぞれに受け止めるものであり、成長に従って、あぁあれはこういうことだったのかと分かって、自分の無形の財産を心に形成していくものである。こういった訓育の場が、家庭科を補完する食育が存在する如く、道徳科を補完するための訓育が必要である。今の学校にはそういう面の配慮が少ないような気がする、

おわりに 

 市井のコラム記事で、一般人が忘れかかっている日本人の本来持っている良心、正直・倹約という我が師梅岩先生のことが紹介されていて嬉しかったと同時に、仕事の現場から自分の行いを自分で制御する、自浄というか、そういう力の欠如を感じる。私の大学生時代、梅岩研究の第一人者・竹中 靖一先生の熱意のある講義を思い出しながら、今こそ、心学を、学校で、しかも小学校の段階から、学校行事として講演等というかたちで、継続的に計画的に繰り返し行われるべきである。そういった面での実践の必要性を提言いたします。(完)

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