亀岡・梅岩の教えを活かすまちづくり協議会 「石田梅岩先生フォーラム」講演2013/8/21
「梅岩の教えを活かした商売のあり方」

以下の文章は、2013年8月21日、亀岡・梅岩の教えを活かすまちづくり協議会主催、「石田梅岩先生フォーラム」において、当舎副理事長中尾敦子氏が表題のテーマで講演をされたものの原稿です。同氏の許可を得て、下記に転載させていただきました。   
2013.8.15
中尾敦子
 <キーワード>
 石田梅岩の学問 ⇒ 町人の哲学 ⇒ 実践の哲学 ⇒ 利潤肯定論 

 顧客満足 ⇒ 企業の社会的責任(CSR) ⇒ ピーター・F・ドラッカー ⇒ ロバート・ニーリー・ベラー

 自己紹介などをレジュメにまとめて頂いておりますが、生涯学習という視点から「心学」「石田梅岩」などを学び続けている浅学の徒です。研究の傍らで、多くの方々に我が国に伝えられてきた心学というものにぜひ一度近づいていただくための活動を社団法人で続けております。今夜もその一環として、ご要請頂いた御題に沿って大きく3項に段落を分けて話を展開したいと思います。

 最初に、今やお集まりの亀岡のみなさま方にとりましてはすでに何度となくお聞き及びでもあり、私以上に詳しく石田梅岩の生涯を語ることができる方も多いと思いますが、話の導入として改めて簡単に生い立ち・活動歴をまとめてみます。

 1685年亀岡市郊外東掛村で生まれ、11歳で京都の商家に奉公に出ました。そのあと仔細があって一度故郷の亀岡に戻りますが、23歳で再び京都の商家に奉公します。仕事の傍らで、自学自習を重ねました。奉公先の宗教でもあった本願寺さんの教えはもとより、神道・儒教などに精神的成長が影響されたといわれています。このような宗教的な背景が梅岩の思想を支えていることは無関係ではないでしょう。求道的な精神構造もあって、45歳で番頭の職を辞し、京都市内車屋町御池上るの地所にある借家で講席を開くことになります。

 

●石田梅岩の町人教化

 江戸期の町人は教育を受ける機会に恵まれることが少なかったようです。そこで、町人たちの間にともすれば道義に反する行動をなすものもいました。世の中からさげすまれやすいのは、教育を受けていないからだと石田梅岩は痛感し、庶民・大衆の教化にむかったと考えることも出来ます。

 

彼の始めた講席は「聴講無料・出入り自由・こども女性もどうぞ」という当時の学びの場では想像できない型破りの形式でした。往時をしのぶ珍しい遺品が大阪の明誠舎に今も保管されています。当時後席の入り口で掲げた吊り行燈の紙を剥したものです。『お望みの方は遠慮なくお通りお聞きなさるべく候』『女中方は奥へお通りなさるべく候』と書かれています。

当時の漢学の塾はもとより、寺子屋へ通う時でさえ、「束修(そくしゅう)」という入学金と、月謝を出さねばならなかったのです。丁稚には金もなく、暇もないという状況でしたので、無料で誰でも希望者は来るがよいとしました。

商売に忙しい町人たちに教えるのだから、早朝と夜間に講釈を設定しました。朝は商家の旦那衆に、夜間は手代や丁稚を相手にしました。さらに、行燈の言葉にありますように、女性にも聴講を許しました。いわゆる男女共学です。当時のことですから女性用には特別の席を設けましたが、その様子はここ亀岡市のガレリアにある講席レプリカにも映像で残されており、見ることができますのでご覧ください。当時坊さんの説教ぐらいは、女性にも聞かせることがありました。が、学問を女性に教えるなどは、かってなかったことでした。そこで、ある人が梅岩に、「女に難しいことを教えても、猫に小判じゃないか」と言いましたが、梅岩は『紫式部や清少納言は男だったかな』とうそぶいたともいわれています。梅岩は今日の言葉でいえば『フェミニスト』だったのでしょうか、ここは、少し私の関心事です。女を交えた庶民大衆に話すのだから、優しい言葉を使って、わかりやすく説きました。そこからは、のちの心学道話の伝統が生まれることになります。いくつもの心学道話や講席で配布した絵付きカードなど今も資料として残されておりなかなか斬新な試みと感じさせられます。

難しいことを難しく教えるのは優しいことですが、難しい事を平易に説くことこそ、かえってむつかしいことです。そこに梅岩の並々ならぬ苦心もあったことが察せられ、素人学者らしい良さがあったともいえます。したがって、文字の詮索に終わる学者を「文字芸者」とそしり、知識の切り売りをする学者を「書物箱」にすぎぬと批判もしています。

すなわち、学問は体験の底から理解し、また実践に役立つ、生きた学問でなければならぬというのが梅岩の主張でした。だから儒教も、仏教も、神道も、更に老子や荘子も、あらゆる思想体系にこだわらず、すべての学問の中から生きた教えを汲み取ろうとつとめました。そのことは、同時に、真理は一つであるとの信念に基づくといえます。あらゆる教えは、深く掘り下げていけば、一つの真実にいきつく、と信じたのです。

 

●石田梅岩の商人道(経営理念)

 

梅岩の門弟たちは、屋号をもった商家の主人たちが多く、聴衆も多くは町家の人々でした。梅岩はその人たちに、人としての商人の道を説いたのです。

江戸時代は士農工商という制度で、武士が貴く、商人は賤しいものとされていました。そのような時代に、彼は商人も世の中に貢献する上で武士におとるものではないと主張します。しかし残念なことに、商人の中には、うそを言ったり、インチキをする者も多いから、賤しめられるのだ。商人も道義に目覚め、商人道を自覚するべきであると教えるのです。商人道とは現在の言葉に直せば、経営理念と言い換えてもいいのではないでしょうか。他方で、武士と町人とは社会的職分を果たすうえで対等である。といっても、その職分の内容は違うのだから、武士には武士の道、商人には商人の道があるとします。商人がさげすまれたのは、利をとるのが賤しいという思想があったからですが、彼は堂々と利潤の正当性を強調し『売利をうるは商人の道なり』と叫びました。商人が利潤を得るのは、武士が俸禄を貰うのと同じであるとも言います。ただし武士は主人から俸禄を支給されるが、商人は顧客、すなわち不特定多数の世間の人々から利潤を貰うのであり、その利潤は商品価格の中に含まれているのだから、商品を「売る中に禄ある」ことを知らねばならぬと教えました。

したがって、商人にとっては顧客は「わが俸禄の主(あるじ)」であるから、主人である顧客に対しては『つとむべき事を先とし、得ることを後にする忠』を尽くすべきである。がんらい、商業というものは多数の顧客に満足をあたえ、『万民の心を安んずる』役目を果たすべきものでなければならず、そのような商売であってこそ、取引によって利潤という武士の俸禄に当たるものが生まれてくるのである。これが梅岩の見解であった。

 

江戸時代の初め大貿易商の島井宗室は、遺言に、「武士は領地からでる年貢によって養われるが、商人は自らから稼ぎ出す以外に生きる道はない」と書いています。これは、商人の主体性の自覚です。そのような自覚が、江戸時代の中期になり、梅岩によって『商人の道』として基礎づけられたとも考えられます。利潤を得るのが商人、利潤が無ければ企業は成り立たない。その利潤は企業努力によって顧客を満足させることから生まれるのである。よって親方日の丸的な考え方があったり、他人任せの思惑があったりしては、企業は健全な発展をしない。

このようなことは一見、自明の理ですが、今日でもなお、十分に自戒しなければならないことではないでしょう。企業活動が本当に社会に貢献し、『万民の心を安める』効果を発揮することによってのみ、その企業は利潤を得る資格が生ずる、ということは企業が絶えず反省すべき重要なポイントではないでしょうか。そのサービスが顧客に十分な満足を与えるものでなければならず、またその取引は公正で正しいルールに従ったものでなければならないのです。

 

●梅岩の説く商取引のあり方

 

『売り手の得は買い手の損』ということは自明の理のように見えます。売り手と買い手とは利害が対立し、どちらかが利益をえればどちらかが損をする――それは当たり前のことと考えやすい。ところが石田梅岩は双方に利益が居なければならないと言いました。彼の数少ない主著『都鄙問答』で彼は『実の商人は先もたち、われも立つことを思うなり」と教えています。悪徳商人の例を非難した後に続く言葉なのですが、仕入れ先に無理を言い、顧客をだまして2重の利をとったり、破産の場合の債権者会議で、債務者と示し合わせて、詐欺を働くような不埒者を、商人のように見えて『紛らわしき盗み』をなすものであると言葉が続いています。『正しい商取引は売買の当事者双方に利が無ければならぬ』と言っています。

売り手がぼろもうけばかりして、買い手が損するような商売をしていれば、客が来なくなります。買い手にばかり利益を与えて、いつもどの商品も出血サービスを続けていたら、資本を食いつぶして倒産する以外はありません。自分が立っていくためには、顧客も立っていかねばならず、顧客を立てるためには、こちらも立っていかねばなりません。自他は二つでありながら、一つであります。後の心学者柴田鳩翁は『鳩翁道話』で「売って悦び、買うて悦び、あつらえて悦び、拵(こしらえて)悦び…皆双方が悦ぶようなものであってこそ本当の商取引である」と解説しています。

 

元来、商取引は、売り手も買い手も、対等の立場に立って、互いに自由意思にもとづいて契約するのが、公正な取引です。そのような取り引きが成り立つのは、結局当事者の双方に何らかの利益があるからに違いありません。売り手は利潤があるから売りたいのです。買い手の方も・・・・小売問屋が問屋から仕入れる場合ならば、その商品を売ってもうけたいから買うのです。・・・・・消費者が買う場合なら、生活に役立つ(消費者利益がある)から、買う気になるのです。

梅岩は、「石田先生語録」の中で、商人に卸す場合は、「相手が売りやすいようにさせる」のが『実の商人の道』であり、『素人(最終消費者)に売るのも同じ』であって、こちらから商品を押し付けるようなことはせずに、顧客の自由にさせ(自由な選択にまかせ)、『気に入りたる代物を誂えさせる』ようにするのが、本当の商人の道であり、顧客を満足させるようにすることが、商売の根本だと明記しています。

また梅岩は「商人の田地は天下の人にあり」とも言っています。農民(百姓)は大地を耕すが、商人は天下の人々の心を耕せということですが、ドラッカーが「市場(マーケット)は創造(クリエイト)するものだ」と言っているのと同じ意味ではないでしょうか。

 

●まとめに代えて:梅岩とドラッカー

 

戦後のわが国の急速な発展の秘密は、明治以降100年の歴史にもたされたものではなく、それに先駆ける歴史の中にあるとする研究者・実務家が内外に多く見受けられます。我が国の経営の知恵の発掘の試みとして、先立つことおよそ226年古い梅岩と比較しながら、世界中で注目され、漫画にまでなるほどその思想が多くの人々に浸透しているドラッカーの利潤論などとの比較を試みるのも大変興味深いことだと思えます。

最後に、簡単にいくつかの言葉を拾い出し、比較する資料として提示しておきましょう。

 

●『都鄙問答』より石田梅岩の利潤肯定論

  「汝独売買の利ばかりを欲心にて道無しといい、商人を(悪)にくんで断絶せんとす。何をもって商人計りを賤しめ嫌うことぞや。汝今にてもバイバイの利は渡さずといいて渡さば天下の法破りとなるべし・・・・」

  『売利を得るは商人の道なり。元銀に売りて道という事を聞かず。…商人の売利は士の禄に同じ。売利なくば、士の禄無くしてつかうるが如し』

  「商人は直に利をとる事によって立つ。直に利をとるは商人の正道なり。利をとらざるは商人の道にあらず」

  『余りあるものを以て、そのタラざるものに易へ』

 

企業が存続するには利が必要な経費であり、物的流通機能を遂行し、元銀に損がいったり、市場の変動もあるので、その狂いに対する保証すなわち市場危機や不確実性に対するリスク補綴のプレミアムであって、武士の俸禄に例えて正当であることを記し、ビジネス機能を指摘している。

 

●「現代の経営」より、ドラッカーの利潤損失補填プレミアム論

   『事業の第一の義務は、何よりも存続する事であり、最大利潤の追求にあるのではなく損失の回避にある。事業の運営には常に危険が伴うものであるから。事業は常にこの危機に備え、補填するにたるプレミアムを作り出さねばならない。しかもその源泉は唯一、即ち利益しかない。しかも事業は、ただ自己の危険に備えるだけでなく、時には経営を誤った他の企業がだす損失の穴埋めをしなければならない事態も起こりうる』

これらの言葉だけでなく、リーダーシップに関しても、ドラッカーと梅岩は「リーダーはフォロワーがいつも心引かれるだけの人間的魅力と深みを有すべきだ」など同一の趣旨の言葉が見受けられます。

『商人(ビジネスマン)といえども《心に恥ずる事なき》正直さと≪士にも劣るまじき』人格の高潔さを持ち『道を知らず』『道を学ばず』して『不義の金銀儲け』をするならば、長い目で見て真のビジネスリーダーになれない』としております。

皆さまも常に心を鏡に照らして、企業活動をされていると思いますが、『経営者は一歩一歩正しい慣行を作り上げ、人間の視野を広め、人格を高めることが大切であり、高潔な品性の不足だけは容赦できない』と言うドラッカーの論と合致しています。

 

最後に資料として、付け加えておきます。

Peter F. Drucker         

経営学のグル(権威者)とされ、マネジメントを作った男とも称されています。19091119日生まれ、20051111日逝去。95歳での大往生。多くの人々は彼を「経営学者」といいますが、彼自身は「社会生態学者」と名乗っています。それは彼の研究に対する想いによります。主としてマネジメントを研究対象とし、彼は「ヒトはどうすれば幸福になるか」を考えていたのです。人間は二つに規定され、「個人としてのヒト」「社会的存在としてのヒト」ですが、ドラッカー考えるヒトは後者であったと言われています。社会的存在としてのヒトは何かしらの「組織」に属し、彼は社会的存在としてのヒトがその所属する組織で幸福になるためにはどうすればよいか、ということを研究してきました。その手段として彼は「マネジメント」を考察し、そのほとんどの著作はマネジメントをテーマにし、後年は取り分け非営利組織のマネジメントを研究対象としています。

彼の持論として、「これから、注目されていく社会形態は、自己実現を中心にしたアメリカ型NPO社会か、絆で結ばれた日本の旧来の会社型組織である」ということを言及しており、我々はこの言葉を胸に刻むべきではないかとも思えます。また、彼は、日本で特に受け入れられ、彼自身も日本、日本文化を愛してくれていました。晩年の著書でも、日本の復活を願う文章が目立っています。

Robert NeellyBellahロバート・ニーリー・ベラー)

1927223 - 2013730:つい最近、死去され我が国の新聞にも訃報が出ていました。

アメリカ合の宗教社会学者。オクラホマ州生まれで、ハーヴァード大学卒業。ハーヴァード大学教授やカリフォルニア大学バークレー校の社会学教授を歴任。

当地亀岡での石田梅岩生誕270年事業としていくつかのイベントが催された時に、我が国を訪れました。京都国際会議場、亀岡市ガレリアので、日本の心学研究者や産業界の心学実践者たちとのフォーラムが記録されています。

かれは、マックスウエーバーの『プロテスタントの倫理』と西欧における資本主義精神(プロテスタンティズム)などと比較しながら、ルター・カルビンの論「コストを切り詰め、無駄をしないで、合理化し、最大効率を上げる』それ即ち神のみ心に沿いという論理立てで、実業と宗教活動を結び付けていくこと等を人格形成論などからも言及しています。

最後に、先年亡くなったアフリカのノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マオタイさんが、世界的に広めた『もったいない』という言葉も心学の講席で語り続けられた「倹約・正直・勤勉」の教え、『もったいない=ものの命をいかす』『ありべかかり』などに由来しているともいわれています。亀岡の先人石田梅岩は世界中の人々に注目され地球環境を守るため、人間の生き方を自覚していくという原点に繋がる考えを遠く江戸時代に考察し、人々に広めた地域の偉人だと認識しなおす時期かもしれません。21世紀になり、町づくりの社会資源として、地域の皆さんと共に、地域づくりに再度貢献してくれているのが、『石田梅岩』なのかもしれないと、考えてみたいです。   

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